「諒、昨日、何してた?」
登校して席に着いたとたん、俺の隣にやってきた木崎はそう言った。対して俺は、何処から同見ても半眼にしか見えない目つきでそいつを見やっただけだ。
何しろ、俺は朝が苦手なのだ。ただでさえ、目つきの悪い俺は現在の自分の顔が殺人犯級の兇悪な人相であることを自覚していた。が、自覚していたからといって俺の容貌が今更変化するはずも無く、しばしそのままの表情で木崎を見つめる。
無言のまま顔を見る俺をしばし放置した後木崎は突如として振り上げた右手で俺の頬を張った。
パシっ
乾いた音が教室に響く。
既に登校していたクラスメイト10人ほどの視線が一気に俺と木崎に集まった。
「ってぇな。何すんだよ」
痛みで一気に目が覚めた俺は意図的に作り上げた半眼で木崎を睨む。
「何時までも眠ってるアンタが悪いのよ。これで目も覚めたでしょ」
ぬけぬけとそう言い切った木崎は、腕を前で組むと再び同じ質問を繰り返した。
「で、昨日何してたの」
ようやく活性化を始めた俺の脳は今更ながらにどうやら木崎のご機嫌が斜めらしいことに気がついた。木崎は格別美人というわけでもないが、貫けるように肌の白い女だ。普段なら真っ白な木崎の顔が、今日は何故か頬に色を乗せている。
しかし俺にしても木崎が怒っている理由など分かるはずも無く、朝からいきなりビンダを食らうなど理不尽という他ない。
「お前喧嘩売ってんのか?何でわけも分からずぶたれなきゃいけないわけ?」
「理由知りたかったら昨日何してたか言ってみなさいよ」
男友達ですら黙り込む一睨みをくれながら訊いたにも関わらず、木崎は視線を逸らしもせずに再びその問いを繰り返した。
「普通に登校してただろうが」
当たり前だ。今日が木曜日なら昨日は水曜日で、祝日でも何でもなかったのだから平日だった。不真面目なわけでもない俺は当然いつも通り登校して今日と同じようにこの席に座っていた。
低血圧で朝の機嫌が元々それほど良くない俺は、そろそろ本気で苛立ってきていた。このあたりの短気さ加減が友人に「お前って典型的なB型だな」と言われる所以かもしれない。
「じゃ、学校のあとは?」
俺の機嫌の悪さを意に介することもなく木崎は質問を続ける。
「予備校に行っただけだ」
俺がそう言うや否や、木崎は拳を机に叩き付けた。
音こそそれほどしなかったものの、木崎の白い手が見る間に赤くなっていく。
そして。
「嘘つき」
そう一言呟いた。
拳に込められた力とは正反対に、まるで弱々しい声だった。
頭上から降ってきたその力ない声に俺は拳に向けていた視線を上げた。
「……」
目に飛び込んできたのは泣く寸前の木崎の顔だった。
初めて見るその表情に俺は戸惑った。元々木崎は勝気な女だ。でなけりゃ初めから俺と話すこともなかっただろうし、付き合うことにもならなかったはずである。
その木崎が今、俺の前で泣こうとしている。
つい先ほど俺にビンダを食らわせて、直後にこれである。
ワケが分からない俺に出来たのは焦ることだけだった。
「ちょ、ちょっと待て。何でいきなり半泣きなんだっ!?」
そう言ってから視線を感じ、周囲を見やるとクラス中の奴等の視線が俺達に集中している。
何というか、この状況がマズイという事だけは直感で理解した俺はどうにか涙を堪えている木崎の腕を掴むと教室の外へと逃げ出した。
幸い六組の俺達の教室は階段のすぐ近くであり、ほとんど同級生に遭遇することなく人目につかない屋上への入り口にたどり着いた。漫画であればそのまま屋上へと飛び出すのであろうが、生憎屋上への扉にはしっかりと鍵が掛かっておりノブには立ち入り禁止の札が掛けられている。
腕を引かれるままについてきたらしい木崎は、人前ではなくなったことに気を緩めたのか静かに泣き出していた。
正直、泣きたいのはこっちである。
ワケもわからずビンダをくらい、ワケもわからず泣かれる。
俺にどうしろというのだ、というのが本音である。
「あのな木崎。理由も言わずに泣くなよ」
そう言ってみたところで木崎が簡単に泣き止むはずもなく、俺はただただ途方にくれた。
「…昨日」
小さな声がした。俺が喋ってないのだから無論その声は木崎のものである。
「昨日?」
「女学院の…子とっ。……歩いて、たよね」
途切れ途切れに聞こえてきたその言葉に俺は耳を疑う。
女学院の子?誰だそれは。
「ちょっと待て。何の話だ?」
「昨日っ、…他の子とっ……一緒だった」
いやいや、まるっきり身に覚えがないんですが。
昨日俺は学校からそのまま予備校に直行して、23時までたっぷり4時間数学と物理の講義を受けていた。間違っても木崎のいうようなマネをした覚えはない。
「いや、俺予備校行ってたから」
「私が、諒を、見間違えるわけがないっ、じゃない」
そう行って木崎はそのまま下を向く。
待て待て待て。俺は2人もいないぞ。ドッペルゲンガーの存在を信じるほど俺の頭は非現実的な思考回路を持ってもいない。
間違いなく俺は昨日予備校に行ってたし、他校の友人もそれを証明してくれるはずだ。
……………。しばし思考の小道を彷徨った末に出てきたのは従兄弟の顔だった。
俺と年は2歳程離れているが、双子の姉妹をそれぞれ母親にもつ俺達は良く似ている。数年前までは身長差があり俺と奴を見分けることなど容易かったはずだが、従兄弟も高校生ともなれば身長も伸びるだろう。木崎が俺と従兄弟を見間違えたとしても不思議はない。
未だ泣き止まない木崎にその事を告げようとして、ふとそれを思いとどまる。
要はこいつ、ヤキモチ妬いてるんだよな。
そう思うと、面映さが沸き起こる。普段気丈な木崎がそのために泣いているということがどうしようもなく嬉しくなった。
しゃくり上げる度に揺れる華奢な肩に手を伸ばしつつ、ほんの少しだけ俺はしばらく顔を合わせていない従兄弟に感謝した。
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