眠りの森の魔王様 第一章 - 1
  




 魔界の王フェルシスが人界を支配しようとし、天界人の加護を受けたとされる聖女フィルナージュによって封印されてから数百年後。封印されたはずの魔王が目覚めようとしていた。




「何でよっ!?」
 上官に向かって堂々とそう言う少女にマリオは頭を抱えたくなった。いつもの事だと割り切ってしまえば楽なのだが、そういうわけにもいかない。
「異変を察知したからだ」
 若い司教、エドアルドは怒りのマークをこめかみに浮かべつつも冷ややかな声でそう言った。
「そうじゃなくてっ。なんで私かってことよっっ。他のシスターにやらせてよっ」
 次の瞬間、エドアルドの顔に浮かんだのは殺気と目だけが笑っていない笑顔だった。
「いいからっさと行け」
 彼にしてはぞんざいな口調がその怒りの程度を暗に告げている。
 そういえば確か彼は数日前に王城に呼ばれて会議に参加していたはずだ。その間にたまっていたはずの彼の机の上の書類が現在はほぼ片付いているという事は、彼が殺人的なハードスケジュールをこなした直後だという事ではないだろうか?
 咄嗟にそう判断したマリオは隣に立っていた少女の襟首を掴むや否や、上官に向かって略式の礼をすると部屋を飛び出た。
 と、廊下を歩いていたシスターの1人がまたか、というような顔で苦笑する。
 そう。ここは、人界にただ一つ存在する大陸アルデラーンの全土に億を越える信者を持つ聖教徒会、その総本山に当たるヴィルレーザ教会だったのだ。

 
「またやってくれたね」
 疲れ切った表情でそう言うマリオを完全に無視して少女は出かける支度を始めた。
「聞いているのかい、マリア・ウィルヴィッシュ」
「んん〜。聞いてない」
 マリアはあっさりとそう言うと、銀製の銃弾の予備を確認してから袋に詰めた。
「あっ、そうそう。服の予備もいるよね〜」
 マリオは我知らず泣きたくなった。何だって自分がこの少女のお守りをしなければならないのだろうか。
 自分は第一実行部隊の事務係であって決してこの少女のお目付け役ではないのだ。
 人の話も聞かずに黙々と準備をする少女は一見すれば、亜麻色の髪にそれより少し薄い瞳というどこにでもいそうな17、8歳の少女だった。そこそこ整った顔をしてはいるが誰もが振り向くほどの美人というわけでもない。
 そう、マリア・ウィルヴィッシュは何処にでもいるような少女だった。彼女が任務遂行率91.7%という驚異的な数字をたたき出した優秀なシスターであると言う事以外は。
 ぼんやりとそんな事を思っていると、マリアの手がダンッという音を立ててマリオの机におかれた。もう片方の手には、シスターの軽装を持っている。
 彼女くらいだろう、シスターの服も着ずに本部に出入りするなんて。マリオがその事を注意しようか否かを考え始める直前に少女は声を発する。
「着替えをするの。殴られたくなかったらでていってね」
 マリオは、にっこり微笑むマリアに冷や汗をかきながら部屋を飛び出た。


 聖教徒会。
 それは聖天使アルヴィーグを信仰する、大陸の第一教に認められている最大勢力の宗教だ。
 表向きは。
 聖教徒会の真の存在意義は別のところにある。
 人界に存在する人族。あまり知られてないがそれは天界人と魔界人の混血児の末裔である。天界人の正の力と魔界人の負の力を受け継いだ人族はたいていの場合、その力が拮抗をしており結局のところ正の力も負の力も持たない。
 だが実は数百万人に一人という確率で、天界人か魔界人どちらかの力を多く持ったものが生まれる事がある。どちらかの力を強く持って生まれたか、或いはどちらかの力が弱かったか。それを考え始めれば限がないが、どちらにせよそういった人族が生まれてくるという事実は覆らない。
 彼らは天界の力か魔界の力のいずれかを操る事が出来る。
 個々の名は異なるが、実際の威力などにほとんど差はない。教会はこれらの力を総称して魔力と呼んでいるが、どちらの力でも人を傷つけることがあるし、制御できなければ暴走することがある。
 聖教徒会とはそのような魔力を持った者を探し出し、制御方法を教えると共に、彼らを聖士とすることによって大陸を守るために存在している。むろん、このような聖教徒会の行為は秘匿とされているわけではなく、大陸の住民の大部分が知っていることだ。


 大陸は一見して平和だが、実際のところはそうでもない。
 度々、魔族の侵入を受けており、この平和ボケしきった人界がいつ彼らに支配されるとも限らないのだ。
 では何故今まで侵略を受けなかったか?
 それは偏に彼ら聖士がその力をもって大陸を守ってきたからに他ならない。
 そしてまた、彼女マリア・ウィルヴィッシュも特に優秀な聖士として大陸中の聖教徒会に名を知られている1人であった。


「マリア。またやったんだってね?マリオが愚痴ってたわよ」
 出かけようとしていたマリアに後ろから声をかける者がいた。
 マリアは既に、紺色の簡易戦闘服に着替えている。一見は単なるシスターの聖服にしか見えないが、この服は耐刃繊維で出来ており、力に自信がある男が全力で斬りつけてきたとしても傷一つ付かない、と言う代物だった。無論、打撲までを防げるわけではないが。
 スカート部分には深いスリットが入っており足も軽々と上げられる。
「関係ないでしょ。それに任務内容を聞いたらエリーナも嫌って言うと思うけど?」
 緩くカールした茶色い髪をつついていたエリーナは興味無さ気に、一応はその内容を聞いてくる。
「ふぅん。で、内容は?」
「…………眠りの森での調査」
 エリーナの髪より少し薄い茶色の瞳が大きく開かれる。
 マリアもこの任務の事を知ったとき同じ反応をした。
「って、あの森よね…・・?」
「そう。正真正銘の眠りの森」
「うっそおおおおおお!!!!」
 エリーナが驚くのも無理もない。あそこは……。
「かの魔王が封印されたという森。あそこで何か魔界の力が働いているらしいのよ」
「骨は拾ってあげるから」
「誰の?」
「お腹の贅肉だけじゃなく脳にも栄養を回してあげた方がいいんじゃない?これ以上馬鹿になっちゃたらさすがの私も同情を禁じえないから」
「同情?自己中心主義のエリーナに同情なんて高等技が出来るとは到底思えないけど?少しは他人に対して思いやりってモノを持たないとその内誰にも相手してもらえなくなるわよ?あっ、思いやりって言葉の意味も知らないか」
「そうやって他人を見下すことしか考えない貴女の性格って精神病院に入れても治らない気がするわ。でも病気の一種だから仕方が無いわよね?でも忘れちゃ駄目よ。万人が万人とも私のように広い理解を示してくれるわけじゃないって事を」
 にっこりと笑いながら会話する二人を、まだ年若いの新人修道士が恐ろしげに遠回りをしてよけていく。
 遠くから見ればにこやかに挨拶を交わしているようにしか見えないが、2人の少女の目と目の間では火花どころか雷が走り、周囲は零下40度のブリザードが吹き荒れていた。



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