眠りの森の魔王様 第一章 - 2
  



 頬を撫でる陽光は心地よいが、木々の葉を揺らす風はきな臭いものを孕んでいる。〈眠りの森〉に一番近い村、カルシューンに到着したマリアはそう感じた。
 近いと言っても、実際に森の中に入るには村からかなり歩かなくてはならないと言うのに、妖気が漂ってくる。既に何人かが犠牲となっているのだろう、この妖気には血の気配が混じっていた。
「血の味など覚えなければ良かったものを。まあ、森に入っていった者にも非があるんだろーけど」
 そう呟くと、聖教徒会カルシューン支部の建物を見上げる。
 この村は大陸の中央部に分類される地域にあるのだが、周囲を囲む高い山々のせいで訪れるものも少なく、お世辞にも栄えているとは言い難い。普通、このような村にある教会は作りも簡単でボロいはずである。だがここは違った。この村の教会は立派な作りで手入れが行き届いている。
その理由は簡単で、この村のすぐ側に〈眠りの森〉があるからに他ならない。魔王が封印された土地を手放しで放置しているほど教会は馬鹿ではない。
 この村は王都に置かれた聖教徒会の本部の直轄地なのである。一応扱いとしては支部になるのだが、一月に一度は本部から調査のための聖士が派遣されているはずである。
「立派な作りだこと」
 そう言いながら、マリアはゆっくりと木の扉を押した。
「あっ、え〜と、本部から来られた方ですか?」
 事務室の窓口からのほほんとした声がかけられる。
 そこにいたのは、金髪の若い男だった。胸には、準二級の聖士のバッジが光っている。
「ええ、そうよ」
 素っ気なく返事をすると、彼は事務室から出てきて彼女を支部長の部屋へと案内した。
「ここです。どうぞ」
 部屋の中に入ると、そこには頭の禿げた小太りのおじさんが座っていた。マリアが彼の机の前に行くとゆっくりと立ち上がり、クリストファー・シュリフェンだと名乗った。
 正直、その容姿でクリストファーはないだろうと思ってしまう。
「本部第一実行部隊所属のマリア・ウィルヴィッシュです。さっそくですが、状況を詳しくお聞かせ願えますか?」
 マリアがそう言った瞬間、クリストファーの顔色が変わった。
「まっマリア・ウィルヴィッシュっっっ?」
「はい。何か問題でも?」
 微笑んでそう言うマリアに彼は態度を豹変させた。
「おっお噂はかねがねです。このように若く美しい方だったとは。私が事情をお話ししたいところなのですが少し困った事が起こりまして、そちらに出向かなくてはならないのです。後の事はあちらのエリック・セルヴィナンの方にお聞きくださいっ。」
 シュリフェンは冷や汗をかきながら、マリアを案内してきた青年を指し示した。
「分かりました。事情が分かれば、単独行動をとらせていただきますので」
 そう告げると、マリアはエリックと言う青年と共に事務所に向かった。


「支部長はこの件を大したことだとは思っていないし、本部から貴女のような高名な方が来られるとは思っていなかったのです」
 向かい合って腰をかけるとエリックはそう言った。
「というと?」
「3年間の仮の地位ですからね。後半年で本部に栄転できるという時期に問題ごとを起こしたくないというのが本音でしょうね。今回の報告も私が支部長の反対を押し切って行ったものでしたし」
「聖士としての力はあるけど、権力欲に目がくらんだ雑魚ってわけね」
 マリアは出された紅茶を飲みながらそう言う。
 そのあまりの言い様にエリックは顔色1つ変えずに、机の上に置かれたままの自身のティーカップに手を伸ばす。
「そういう見方も出来るかもしれませんね」
 にっこりと笑いながら自分も紅茶を飲む青年は、人の良さそうな外見とは裏腹になかなかの性格をしている。
「そんなことよりも、このような村で貴女ほどの方に出会えるなんて本当に光栄です。私は職務があるためお手伝いをすることは出来ませんが、誰か他の者に・・・」
「いらないわ。足手まといになられると困るから」
 歯に衣を着せぬマリアの言い方にもエリックは気を悪くすることは無かった。それどころか側においてあった鞄から折りたたまれた紙束を差し出すと。
「これは、私が〈森〉まで行って作った地図です。深いところまでは入れませんでしたのであまり役に立たないかもしれませんが。お手伝い出来ない代わりといっては何ですが、宜しければどうぞ」
 そう言って、差し出された地図には森の全体の大きさや、村からの道、それに、森の浅い部分の簡単な説明までもが書かれていた。
「貰っとくわ。で、本題に入るわよ。現状を出来るだけ詳しく話して頂戴」
「最近、近くの畑へでていった者達のうち数人が行方不明になっていまして。一番最近行方が分からなくなったのは、コルジュという名の若者です。9日前に猟に行ったきり姿を消しました。これ以前にも6人程行方知れずとなっています。魔王が封じられた森の方角へと向かった者ばかりです。私も調査を兼ねて森に行きましたが、あれほどの妖気は今まで感じたことがありません。多くの餓鬼が集まっているでしょう」
 妖気は妖気をよぶ。その妖気が多くなれば多くなるほど、それに誘われ集まってくる餓鬼も増える。知能も低く、魔力もほとんど持たない餓鬼は単体ならば人族にとって大した脅威とはなり得ない。しかし群れた餓鬼は時として魔族を始末するよりも厄介だ。
 獲物を捕食し、飢餓感を満たすためだけに発達した彼らの筋力は人族とは比べ物にならないほど発達している。一般的な体長は人族の成人の半分以下であるため単体の処理ならば可能だが、群れを成して襲ってくる餓鬼への有効な対処法は逃げることだけである。
「この村に入った時から既に妖気を感じているわ。・・・血の匂いもね」
「はい。しかしここまで妖気が強くなったのは数日前です。早めに手を打たなければ奴等の数は増えていくばかりでしょう」
「異論は無いわ。じゃ、行って来るから」
 そういってマリアは買い物に行くかのような気軽さで席を立った。
「えっ、もう行かれるんですか?」
 少し驚いたように問うてくるエリックに笑いながら答える。
「当たり前。善は急げ、よ。それに早く帰ってエドアルドに文句の1つ言ってやらないとね」
 実行部において司教の地位を与えられた、つまるところ聖会のメンバーでもある教会の最エリートの1人に対して、修道女たる一介の聖士が示していいとは到底いえない態度である。



無断転載・二次利用厳禁
Copyright(C) 2004 and beyond Kyoya. All rights reserved.