眠りの森の魔王様 第一章 - 3
  



 木々を押し分けて道を造りながら、あたりに漂う妖気にマリアは少々うんざりとしていた。
 村をでてから徐々に強くなっていった妖気は、普通の人ならば既に当てられて気絶してしまうほどに強くなっていた。
 血の匂いなど既に感じない。妖気が強すぎてかき消されてしまったのだ。
「どっからこんなに大量の餓鬼が沸いたんだか・・・」
 緊張感のかけらも感じさせない口調でそう言う。
 だが、彼女の動きは至って慎重だった。数歩歩くたびに、周囲の気配を確認している。
「これで、本当に魔王なんかが覚醒してたらエドアルドに文句一つ言えなくなっちゃうわよ」
 妖気が強くなっている方角へと歩を進める。
 本来ならこの時期、森は涼しいはずだったが、強い妖気とまとわりつくような熱気が森全体を覆っていた。まだ幼い木々によっては、強すぎる妖気に当てられ既に枯れかけている。
 そのとき、視界の端で動いた何かの気をとられたマリアは蔓に足を取られてしまった。それだけならまだ良かったものの、蹌踉めいた拍子に茂った植物の陰に隠れていた急な斜面をすごい勢いで滑り落ちてしまう。
 悲鳴を上げなかったのは日頃の訓練のたまものだった。
 耐刃繊維で出来ている服のおかげで、体の裂傷は避けられるだろうが、斜面はかなり続くらしくなかなか体が止まらない。
 こんなところに敵が現れでもしたら反撃の暇もなくやられてしまうだろう。
 ピチャン
 そう、そんな音がした。マリアの耳のすぐ近くで。
 小石が水の中に落ちたのだろう。そう判断した。
 そして次の瞬間、判断する暇もなくマリアは自分がひんやりとした液体の中に勢いよくつっこんだことを悟った。
「……何でこうなるのよ…」
 全身ずぶぬれの自分の体を見下ろしてそう呟く。
 幸い打ち身もなく痛む箇所もない。
 だが、藍色の服は茶色く土で汚れ、髪の毛も同じ状態だ。
「最悪…」
 マリアが顔をしかめながらそう言ったとき。
「お困りのようだね」
 男の声が響いてきた。
 咄嗟に、ホルダーから銃を取り出す。勿論の事だが銃身は濡れており撃てる状態には見えない。確かに、マリアがこの銃を銃として使うならば、銃はその役目を果たせなかっただろう。
 しかし、この銃にはもう1つの役割があった。
 魔力放出を行う際の補助機としての役割である。
 咄嗟の攻撃に呪文を唱えていては間に合わない。短縮呪文を唱えることも可能だが、それが出来るのは余力が十分に残されているときだけである。つまり、戦いは常に最悪の場合を想定して準備をしなければならないのだ。
 魔力を呪文を通して何らかの力に変換するのではなく、魔力を魔力としてそのまま放出する。
 それだけでも十分にある程度までの敵ならば倒すことが可能なのだ。
 しかし問題はどうやって魔力をそのまま放出するか、である。
 魔力は生体エネルギーのようなものだ。一箇所に集めることならば訓練をつめば誰でも出来るようになるが、集めた魔力を外に向かって放出することは非常に難しい。
 そこで登場したのが補助機である。聖士によって何を補助機とするかは違うし、そもそも魔力の放出を行うことそのものが出来ない聖士も多い。制御が十分でないものが行えば、暴走することさえあるのだ。
 幸いにして自分の魔力の制御力に長けるマリアは魔力放出を行うことが出来た。マリアの補助機は銃である。理由は単に射撃が得意であったというだけなのだが。
 撃ちだされるのは銀の銃弾ではなく、マリアの聖士としての力だ。たとえ火薬が濡れていようと、マリアが聖士としての力を込めてトリガーを引けば、下級魔族十体以上を一度に消滅させられるほどの威力ある魔力が放出される。
「何者?」
 声のした方へと体の向きを変えながらそう問う。
 マリアの斜め後ろに男は居た。美しい容貌をしている。銀色の少し癖のある髪に深い紫の瞳。圧倒的な存在感があった。
 なぜ、声をかけられるまでその存在に気づけなかったのだろう。
 男からは血の香りも妖気も感じ取れない。だが、このような危険な森の中に何の装備もせずにいるのだ。山菜を採りに山へ来た付近の村人という事は間違ってもないだろう。
「怪しいものではないよ」
 全く持って信用に足らない言葉を吐くと男は、
「いい眺めだね」
 とにこやかに言った。
 マリアはずぶ濡れである。ということは。服は体にぴったりと張り付きそのラインが露わになっていた。
「っざけるなっっ」
 そう言うやいなやトリガーに乗せる指に力を込め、一気に魔力を放出させる。
 一瞬後には男は地に伏せているはずだった。血で大地を汚しながら。
 だが男はマリアの見ている前で、攻撃を軽々とかわし何事もなかったかのようにマリアに向き合った。
「いきなり攻撃する事はないだろう、気が強いのはかまわないがこちらの事も考えてくれ」
 そう軽口をたたいた男にマリアはただただ目を見開いた。確かに、本気で力を込めてはいなかった。だがマリアの力は聖教徒会の聖士のなかでも最強と言っても良いほどのものである。たとえ紙一重で避けきったとしても無傷ではすまない。
「……お前は魔族か?」
 右腕に力を集め、再びすぐ解放できるようにしてからゆっくりと問う。
「知るわけないだろう、そんな事。私はもう何年も前からここに住んでいる。それだけの事だよ」
 ……………。
 男は魔族ではないのだろうか。
 その証拠に男から魔力は感じ取れない。
 だが、普通の人間がこの妖気の中で何事もないように立っているなどどう考えても不自然だ。
 その時、マリアの頭にある事がひらめいた。
 もしかすると彼は、自分と同じように聖士としての力を持っているが、このような森の中で暮らしていたので自分が聖士である事を知らず、なおかつ、自分の力を無意識に妖気から自分を守るために使っているとしたら。
 全て納得できる。疑問点は多々残るが。
 あまりありそうにない事だが、全くないとも言い切れない。
 それ以外に現状を説明できる仮説を思いつく事が出来ず、しぶしぶマリアは唯一の仮説を頭の中で事実に昇華させた。
「……こんな森の中でお仲間にお会いできるとは思わなかったわ、しかも極上の力を持ってるみたいね」
「お褒めに預かり光栄だよ。お仲間かどうかはおいておいてね」
「なら、さっさとこの森からでる事ね。死にたくなければ、だけど」
 そう言って男の側を通り過ぎ、1人でさらに森の奥深くへと入っていこうとした。だが。
「目的は知らぬが、私も一緒に行ってやろう」
 男はそう言うとマリアの後を付いて来始めたのだ。
「あのねえ……」
 足を止めながら、頭を押さえる。
 魔族と戦いに行くというのにこんな男についてきてもらっては困る。というより、何も知らない一般人を巻き込んで昇天させてしまうのはさすがのマリアも後味が悪い。
「私は今からこの妖気の撒き散らしてる餓鬼とこいつらココに集めた魔族と戦いに行くの。あんたなんかについてこられたら邪魔だし、足手まといなの」
 そういえばこの男も少しは怯むだろう、というマリアの考えは見事に覆された。男は動じた様子も無く、顔には笑みをさえ浮かべてこういったのだ。
「私には道案内が出来るが」
 これは盲点だった。
 男の言葉にマリアもはっとする。森の浅いところまではエリックの作ってくれた地図がある。だがこれ以上奥のことは地図には書かれていない。
 このような森の中には、特定の時間になるとガスの泊まり場が出来るところや、獣たちの住処など危険な場所がいくつも存在する。それをマリアが全て回避する事は不可能に近い。
 だがこの男がいれば………。
 今も彼はこの強い妖気から己の身をいとも簡単に守っている。マリアが彼の安全に気をとられて戦闘に集中できない、と言った事態だけは起こらないだろう。それに先ほどの身のこなしを見れば、どうやら一般人とは呼べそうも無い。
 それならば彼に案内してもらった方が、遙かに自分は安全である。
「………。身の安全は保証できないわよ」
「美の女神の側ならば死神も手出しはしないだろう?」
 歯の浮くようなせりふを軽く言ってのけた男は当たり前のようにマリアの横に並んだ。
「で、あなたなんて言うの?」
「何の事だ?」
「名前。無いのならゴンベエとでも呼ぶけど?」
 さすがにゴンベエは嫌だったのだろう。確かにこの美貌にゴンベエでは似合わなすぎる。男は苦笑すると、
「フェルス、だ」
「恐怖の魔王様と一文字違いって訳ね。覚えやすくて助かるわ。それとも本当に魔王様なんてベタな設定もあり?」
 マリアの言葉に男はまた苦笑したようだったが、彼女はそれを無視して鬱蒼とした茂みの中に入っていった。フェルスが後を付いていこうとすると。
「付いてきたらもう一発お見舞いするわよ」
 声と同時に何かがパサリっと地面に落ちる。
「命をかけた覗きなんてしたくはないさ。もう少し育っていたなら話は別なんだが」
 マリアに聞こえないようにフェルスは1人呟いた。


「ここから右に行ける?」
 妖気が強くなっている方角へと慎重に進みながら隣のフェルスに尋ねる。
「行けない事もない。それにしても魔王が目覚めているとは突飛な考えが浮かんだものだ」
 森の奥へと進みながら自分がここに来た理由をマリアが説明すると、フェルスはあきれた顔をした。
 正論と言えば正論である。
 もし魔王が目覚めていれば人界はとっくに彼の支配下と化していただろうから。
「もしかしたらって言ったじゃない」
 声を抑えて言い返す。
 敵地のど真ん中でくだらない言い争いをしている姿をエドアルドが見ていたら、どのような反応を示すだろう。
「それにこれは私個人の意見であって、教会はこの森に異変が起こった事しか察知していない。かの魔王が封印された土地で餓鬼が大量発生して魔族が現れたと聞けば、誰だって繋げて考えると思うけど」
「まあ一理あるな」
 何故か不機嫌そうなフェルスには気づかず、そのまま歩を進めるマリアだった。



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