眠りの森の魔王様 第四章-7
  



 衣装部屋から引っ張り出した簡素なドレスを頭から被ると、布地から生えている何本ものリボンを適当に結び合わせる。
 恐る恐る姿身に己の姿を映してみれば、見苦しくない程度にはなっていた。
 絡まりきった髪には数回ブラシをあてたものの、早々に諦めると束ねて頭の後ろに纏める。
 再度姿見を覗き込み、甘めの自己採点で及第点と評価は下した。元より、屋敷の外に出るつもりはないのだから、この程度でも充分だろう。そう判断すると廊下へと足を向け、まっすぐにエドアルドの部屋へと向かう。
 彼の部屋の前に辿り着くと、マリアは深呼吸をし、堅い木の扉をノックした。
 すぐに誰何の声が返ってくる。
「可愛い妹君がお見えよ」
 そう返事をしてやると一拍置いてから入室を許可する声が返ってきた。その一拍の間に軽いため息を吐いたエドアルドの姿が目に浮かぶようでマリアは心中で小さく笑うと、勢いよく扉を引いた。
 案の上というべきか、エドアルドは部屋の扉を開け放ったまま書斎の書物机の前に座り、何事かの書類を片付けていた。マリアからみた、机の手前には既に目を通し終わったらしい書類が積み上げられていた。
「休暇中まで仕事?」
 呆れてそう言うとエドアルドは苦笑する。
「父上から押し付けられた分だ」
 エドアルドは次期グラニール領主、つまりグラニール公爵を約された身だ。今は教会に籍を置く身だが、いずれは還俗して王宮での役職に着き、母の持つ公爵の身分も継ぐ。教会の職務の傍らで、形だけの領主である母から実権を委ねられた父に仕事の手伝いをさせられていることはマリアも知っていた。
 エドアルドの両親は王宮での役職にはついていないが、グラニール地方にある王家直轄地の管理を任されている。これは母であるアリアーナがその特殊な地位から役職を拒んだためである。父のヨアキムは元を辿れば役職どころかアリアーナを娶ることなど不可能に近い没落貴族の次男坊であった。
 現に今も公爵位を有し、領主の役目を授けられているのはヨアキムではなくアリアーナである。しかしそれはあくまで建前上のこと。広大なグラニール地方の実権を握り采配を行っているのはヨアキムであり、エドアルドの父は決して無能な男ではなかった。
 それはそれとして、このヨアキムが領民からの税の取り立ててに関わる一番面倒で、しかし最も重要な仕事をエドアルドに押し付け始めたのはもう5年ほども前からであろうか。今では税に関わる全ての任務にはエドアルドの裁可が必要であった。
「大変そうねー。…そろそろ還俗したら?」
 教会でも司教という身分にある彼は仕事が多い。還俗して教会の仕事から解放されれば、領地の仕事のみに専念できるだろう。
「還俗したらしたで、これ幸いとケイルに役職を押し付けられるに決まっているだろう。仕事の量が減るどころか増える」
 口の端をわずかに下げたエドアルドは本当に嫌そうにそう言った。普段非常に表情に乏しい兄だが、マリアの前ではよく感情を表すのだ。
「有能なお兄様をもって妹としては鼻が高うございますわ」
 茶化してそう言ってやる。しかし、兄エドアルドのキレ者ぶりは貴族の間では知られた事である。
 王家の貴族の中に魔力をもって生まれる者が多いのは前述の通りであるが、彼らの多くは貴族の子弟が最初に配属される親衛隊ではなく教会に入る。数年教会に籍を置いた後、多くの者が還俗し、役職を与えられると親衛隊から開始した者達の身分に一足飛びで追いつくという仕組みになっている。
 その中でもエドアルドのように若年にして司教に上り詰めた者は少ない。何しろ、教会が彼を手放すのを渋るほどなのである。
 しかし教会と貴族の結びつきは言わずと知れたことで、エドアルドは教会に留まろうと還俗しようと華々しい将来が約束されたいた。
 すでに政治に参加する身であるケイルが、エドアルドを自身の補佐官へと引き抜こうとしている事はマリアの耳にすら届いている。
「馬鹿にしてるのか?まぁ良い。本題に入れ」
 ペンを走らせる手を休め、エドアルドが訊ねてくる。
 真正面から視線が合うと、マリアは話を切り出しにくくなった。この多忙な兄を今更と思われても仕方が無い質問で煩わす事に躊躇を覚えたからだ。
「いや、ちょっと・・・」
 少し言葉を濁してから、思い切って言葉を繋げる。
「建国祭と立太子式って具体的に何をするの」
 その瞬間、マリアの目が見間違えたのでなければ―――マリアの視力は恐ろしいほど良いのだが―――エドアルドは一瞬固まった。
 離れた場所にいるマリアにも息遣いが聞こえるほど、感情を逃がすかのようにあからさまに深く長い呼気を吐き出した後、エドアルドは観念したようにペンを置き机を立った。
 書物机の前に供えられた応接セットにマリアを招くと、自身は廊下へと向かい、通りかかった給仕を捕まえて茶の仕度を頼んだようだ。
「失念していた」
 長いすに腰をおろすと、エドアルドは己の失態とばかりに小さく呟いた。
「建国祭に出ていないのだから、知るはずもないものを。他に気を取られて配慮が届かなかった」
 最後の言葉は詫びのつもりなのだろうか、と考えながらマリアは居心地の悪さを感じた。出席を渋ったのは常に己であり、けして兄に責任はない。
 しかし、兄は言ったはずだ。頼って来い、と。今のマリアにはその言葉以外に縋るものがない。
「一応、訊いてみるが建国祭については何を知っている」
「建国を祝い、フィルナージュを讃えるんでしょ。あと、女性は白い花を身につける。・・・・王城の第二門を開いて市民に王の拝謁を許可して、何か儀式もあったような」
「いや、市民は王からの言祝ぎを賜るのみだ。儀式などはない」
「そうなの?エリーナが何か言ってた気がしたんだけど」
「大衆劇とでも勘違いしてるんじゃないか。いずれにせよ、お前が何をするわけでもない」
「は?」
 その言葉に一瞬呆けたマリアは、気の抜けた声を疑問符と同時に口から吐き出していた。
「ちょっと待ってよ、じゃあさっきのあの脅しは何なわけ」
「いいか」
 そこで一度言葉を切り、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるかのようにエドアルドは続ける。
「建国祭にせよ立太子式にせよ概要を知っておくことは勿論必要だ。言祝ぎの最中に式典中とも知らずフェルスを呼びつけられでもしたら祭どころじゃないからな」
 あまりにもな言い様に、マリアが反論をしようとすると彼は遮るかのように口を開いた。
「だが先ほどのの忠告は、お前自身が、自分の置かれる立場を把握しておけという意味だ」
 口から出かけた言葉を飲み込み、マリアはエドアルドの言葉の意味をようやく理解した。
 兄が憂慮していたのは自身にむけられる好奇と蔑みの視線であったのだと。



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