眠りの森の魔王様 第一章 - 5
  



 異様なほどの熱気が立ちこめていた森の中とは打って変わって、洞窟の中はひんやりとしており寒気を感じるほどだった。
 洞窟全体にかけられた結界がその空気の移動を阻んでいるからだ。
 真っ向からこの結界を解いてもよかったのだが、マリアは時間をかけてその強大な結界を丹念に調べた。これだけ広い範囲に結界を張るのは非常に難しく、また、万が一張れたとしてもほころびが出来てしまう事が多い。
 マリアはそのほころびを探したのだ。これはもう根気の勝負であった。
 見つけたほころびの中から結界内に入ったマリアに敵は気づいてはいないなずだ。そう信じて慎重に奥へと進む。
 ぴちゃん。
「っつ――――」
 その音とマリアが声を殺すのはほぼ同時だった。
 上から垂れてきた水滴が丁度、マリアの首筋に落ちたのだ。 
「〜〜〜何でこんなにじとじとしてるのよっ。私に恨みでもあるわけっ?」
 小声でそう呟くが、洞窟という物は大抵この様な物である。マリアがどう文句を言うとそこが常夏の楽園に変わってくれるはずもなく、再び水滴が落ちてくる。
「―――。さっさと終わらそ」
 マリアは訓練によりかなり夜目が利くが、それでもあたりの闇は奥へ行けば行くほどその濃さを増してくるように思われる。
 真っ暗闇の中、滴り落ちる水滴。どこからとも無く吹いてくるヒンヤリとした風。 雰囲気だけは満点である。雰囲気だけは。
「でも、肝心の敵が出てこないってどーゆーことよ?」
 歩調は全く変えずに、そうぼやいてどこから取り出したのやら、飴の包みを開いて口の中に放り込む。王都で最近人気の洋菓子店フォンダンの一番人気商品である。初めは甘く後になると口な中で蕩けるという物だ。
 その飴の長方形の包装紙を指でいじり、前方に向かって軽く投げる。何時の間にやら紙飛行機にされた包装紙はしばらく飛んでから、忽然と姿を消した。
「やっぱりね」
 足を止めてマリアが言う。
「亜空間結界なんて、また厄介な物を」
 亜空間結界。
 名前の通り結界の一種である。かなり強力な。
 結界という物は通常、結界内に特定のもの以外、または一切のものが侵入するのを拒む力を持っている。亜空間結界も例外ではない。ただ、結界内に侵入しようとしたものを亜空間へ引き込むと言う点に置いては、他の物と多少は異なっているが。
 亜空間結界は、一度結界内に引き込まれれば、そこは亜空間に通じており元の世界へ戻ってこれるかどうかはわからない。万一戻ってこれたとしても空気が存在する場所に戻れる可能性は皆無に近い。
 マリアはしばらく紙飛行機が消えていった空間を見つめてから、ため息をついて、
「………やるしかないか」 
 と、諦めたように言い、結界が張られていると思われる空間までゆっくりと足を進めた。 しばらく歩いてから足を止める。
 常人の五感では捕らえられない、その感覚をマリアははっきりと感じ取った。
「これは結構疲れるかも」
 手を結界に触れるか触れないかの位置まで伸ばし、その結界の強さに流石のマリアも弱音を吐きたくなった。
「これで本当に魔王が覚醒していたら笑えないわよねぇ」
 もし本当なら、笑うどころか口すらなくなっているだろう。と言うより、体そのものが無くなってしまうだろう。
 まあ、物事というのはやってみなければ始まらない。
 これがマリアの持論である。
「至近距離からの一発」
 一言そう言うと、ホルダーから聖教徒会の聖士のみが持つ事を許されている銀色の銃を取り出し、結界の前で構える。
「ちゃんと壊れてよっっっ!」
 声と同時に思いっきりトリガーにのせる指に力を込めた。
 一瞬の空白の後。
 洞窟内に凄まじい轟音がこだました。
 そう、マリアが補助機を通して放った力は結界を壊すだけでなく、あたりの岩をもえぐったのだ。
「加減はしたつもりだったんだけどな……」
 後で調査隊が派遣されたときにまた小言を言われるかも知れないがそんな事には構っていられない。轟音に混じって、明らかにそれとは違う甲高い声が聞こえてくる。
 銃をホルダーにしまうと、銀製の短剣を両手に握りしめ、凄まじい反射神経で落ちてくる岩を避けながら走り出す。
 しゅっ
 何かが空を切り裂く。その一瞬後、グジャッという音が聞こえた。
 マリアは空いた右手に銃を構え走りながら続けて3回を力を放つ。その力は違える事と無く三体の妖魔の体に吸い込まれていた。
 撃ち終えた銃を素早くホルダーにしまうと、横に転がっている死体から先程投げた短剣を回収する。
「邪魔っ」
 一声の元に前に立ちふさがった妖魔の体を切り裂く。
 次々と襲いかかってくる妖族や妖魔を両手に持った短剣だけで倒していくその姿は17歳の少女にはとても見えない。
「こんな雑魚じゃ相手にならないのよっ!さっさと姿を見せたらどうなのよっ?」
 走りながらそう叫ぶ。
 しかし叫んでみたものの、洞窟の外にたむろしていた餓鬼に比べて中の連中の攻撃力がはるかに高いことは否定しようが無かった。外の餓鬼は魔力の強さに引き寄せられて集まった雑魚だが、中の連中は誰かしらの配下にある魔族や妖族なのだろう。
 いきなり横から飛び出てきた妖族を短剣の一振で地に沈める。その時、マリアの頭に警鐘が鳴った。
 何かが変なのだ。
 この洞窟は小さくもないが、とても大きいというわけでもない。亜空間結界があった場所から洞窟の入り口までは結構な距離があったはずだ。そして今もマリアは走っている。物理的な洞窟の大きさから考えてこれはどうもおかしい。何処かに仕掛けがあったのに違いない。
 いきなり足を止め、あたりの様子をうかがう。
 何処だ?
 記憶を探る。
 あたりは岩壁ばかりで、時折冷たい水が流れていた。ただ、それだけの事だ。
 ほかには?
 ・・・・・・。
 ならば、自分が相手の立場ならば?
 自分なら相手を侵入させないためにどうする?
 簡単だ、結界を張ればいい。強力な結界を。これ以上先に進めないように。
 でも、それも結界が壊れてしまえばお終いだ。侵入者はいとも簡単に奥へ入り込める。
 侵入者はいとも簡単に奥へ入り込める?
 奥へ?
「ちっ」
 急いで元来た道を戻る。
 まんまと敵の術中にはまってしまったわけだ。
 強力な結界は単なる目くらましだとしたら?
 結界が破られた事により、敵は侵入者の存在を知り、守りを固める。侵入者は結界の向こうに敵がいると信じ、そこに配置された妖族達と戦い体力を消耗する。
 全て向こうの思うがままだ。
 亜空間結界を壊したとき、マリアは体力の消耗を避けるため結界を壊すのに必要な最低限の力を放ったはずだった。それなのに、周りの岩すらも砕け落ちてきたのだ。
 あの時点で気が付くべきだったのだ。
 あの結界の側に隠の呪がかけられたもう1つの結界があったのだ。
 マリアはその結界の力と、亜空間結界にかけられた力両方を感じ取ってしまったのだ。だから、セーブしたにもかかわらず周りも崩れてしまったのだ。
「私を怒らせるとどれ程高くつくか教えてあげようじゃない・・・」
 そう呟くと後は無言で、飛びかかってくる妖族達を切り捨てる。

あたりに巨大な岩が転がっている。先程マリアが結界を解く際に一緒に壊してしまったものである。
「さあてっと、随分なめた真似をしてくれた魔族にはきちんとお礼をしないとね」
 笑顔でそう言いながら、陰の呪がかけられた結界の前でホルダーから出したばかりの銃をくるくると回した。
 顔は確かに微笑んでいる。
 ただ、その目は一切笑っていなかったが。なまじ整った顔をしている分、何処か空恐ろしいものを感じる。
 片手で器用に回転式の銃創から濡れて役に立たなくなった弾を出すと、新たな銃弾を込める。その際銃床を乾かすことも忘れない。最後の1つを入れた瞬間、なんの前置きもなくそのトリガーを引いた。
 ぴきっ
 そんな音が聞こえた気がする。
 その直後に、今まで単なる岩肌だった場所に巨大な穴が開いていた。
「待ってなさいよ、今から行ってあげるから」



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