走りながらマリアが放った炎の固まりが数十体の妖族を焼き尽くす。マリアにとってただ本能に操られるまま襲いかかってくるような下級妖族は敵ではない。いとも簡単に2桁もの妖族を地に葬り去る。
「………凍れる滅びの腕の抱擁を」
低い声。
その声に気づいたマリアが、その場を飛び退いた直後に凄まじい勢いでそこが凍りついた。
「ふ〜ん。中の下ってとこね」
餓鬼や妖魔に混じって現れたのは魔族だ。間違いなく、今までの相手より遙かに強い相手だ。それなのにマリアの顔には焦り一つ無い。それどころか何処か嬉しそうに顔には笑みすら浮かんでいる。
「今までの相手よりは手応えがあると良いんだけど」
何処までが本気かどうか分からないような口調で、相手をからかうように言う。
「ほざけ。貴様ごときがこの俺の相手が出来ると思っているのか」
「弱い奴に限ってそう言うのよね」
そう言いながら、飛びかかってきた妖魔を数体始末する。当たり前だが魔族の顔が歪む。
「そう言っていられるのは今のうちだけだ。死ねぇっっ」
言葉と同時に走り出した魔族にマリアはただ、銃を天に向けて魔力を放出した。
轟音と共に巨大な岩の破片が落ちてくる。
「なっっっ」
「ほら、あんた弱すぎるの」
銃を天に向けたマリアの意図を解しかねた魔族はいとも簡単にその岩の下敷きになった。
「なっ、何なのだ、あの女は?」
洞窟の奥深く。そこに彼はいた。
紫がかった紅い髪は、かなり高い部類に入るであろう身長の腰のあたりまで伸びており、羽織っている紅蓮のマントとともにその麗しい容姿を彩っていた。
キルシュ=レディン=ゼウセール
それが彼の名前だった。
「キルシュ様っ、あのおん――――」
「『蘇芳の君』だっ!何度言えば分かるっ!?」
突然、部屋に入ってきた部下の方に顔を向けながら素早く訂正を入れる。
「もっ、申し訳ございません。蘇芳の君、あの女、ガッスを倒しましたっ!」
「知っておるわっ」
「はっ、失礼します」
出ていく部下を見つめながら、彼、キルシュは何故これほどまでに自分の部下は使えなのだろうと頭を抱える。
何度言っても、『蘇芳の君』という名を覚えない。部下は未だに自分の名を、何処かの菓子の商品名にでも付いていそうな、あの忌々しい本名で呼ぶ。『蘇芳の君』の方がよほど気高い感じがするというのに。
それに、今彼が手に持っている物が映し鏡意外の何に見えるというのだろう?
揺らめく銀盤の向こうで、亜麻色の髪をした少女が自分の能なしの部下達をいとも簡単に倒していく姿が映し出されている。美女というわけでもないが、なかなかおもしろそうな女だとは思う。これまでの女とは毛色の違うものを侍らせてみるのも一興というものだ。
いや、そんな事を考えている暇はない。無能な部下ではあの女は倒せないだろう。そろそろこの我自身が出向かなければ。
あの女を倒したらどうしようか。部下にしても良いし、この我の女にしてやっても良い。
さすがのあの女もこの我にはかなわないだろう。我の手に、これがある限り……。いや、この美貌を前にあの女は身を投げ出すかも知れないな。
キルシュは美しい顔をさらに美しく彩るえみを浮かべながら紅い絨毯の上を滑るように歩き出した。その右手に怪しい色を浮かべる透明な紫苑の石を握りしめながら。
彼、キルシュ=レディン=ゼウセールを人はナルシストと呼んだ。
「ばれてないと思ってるの?自分だけ安全なところからこそこそ覗いてないで姿を見せたらどうなの?」
宙を睨みながらマリアは声を上げた。
どこからか見られている事は初めから何となく分かっていたが、雑魚の相手をするのがいい加減にうざったくなり言ってみたのだ。
すると・・・。
「うげっっ」
花の盛りの乙女には少々似合わない声を上げてしう。
何故なら、いかにも「ラスボスだ」というような格好のヤツが奥の方からやってきたからだ。いや、この表現は余り正しくない。
彼(とおぼしき人物)は金刺繍の入った赤い絨毯のような物を多分魔力で操っているのだろう、自分が歩く前に敷きながら現れた。彼の周囲には十数本の蝋燭が漂い、暗闇の中で彼をよりいっそう際立たせている。
裾を引く赤いマントに紫がかった朱の髪。同じ色の瞳。人目を引きつけるのには十分すぎるほどの美貌。
容貌は確かに美しいのだが、マリアの脳の何処かしらが拒絶反応を示していた。
だが、マリアの視線は己の脳の反応とは裏腹に男の体のある一点に釘付けになってしまう。現れた男の胸にかけられている長めの装飾品。一見で、細かな細工が施されており、相当な価値のする物であろう事は予想が付いた。だが、その中でもマリアの関心を引いたのは金の台の真ん中に埋め込まれた紫苑の色を浮かべる宝玉。
それが何なのかは分からなかったが、マリアは純粋にその石を美しいと思ってしまった。
「我が美貌に見とれ、戦う事すら忘れてしまったのかな?」
何処か耳障りなその男の声がマリアの意識をその石から現実へと引き戻した。
「残念ながらあんた程度になびくほど軽い女じゃないの」
「ああ、我の美貌に嫉妬したのだな?凡人に我と同等の美を求めるのはあまりにも酷というもの。見るに耐えない顔で無いだけでも幸運と思うがいい」
ぴくり。
マリアの形のいい眉が僅かに崩れる。
「……どういう意味かしら?」
「言葉の通りだよ」
「貴方みたいな人の事を………、あら、人じゃなく下品な魔族だったわね。でもどちらにせよ、ナルシストっていうの。自意識過剰のご老体はそろそろおさらばしてくれると嬉しいんだけど」
下品な魔族。ナルシスト。自意識過剰。ご老体。
その言葉1つ1つに魔族は面白いように反応を示した。
「我に……、この我に向かってそのような口を利くとは……っ。行けっ!!」
キルシュの言葉と同時に、それまで攻撃を止めていた妖族達が一斉に襲い掛かってくる。勿論、彼自身の魔術もだ。
蝋燭の灯が一瞬にして消え、あたりを再び漆黒が支配する。
暗闇での戦いは、マリアの方が不利だ。元々魔族達は日の光よりも、夜の闇を好むのだから。
今までは、剣の一撃で倒れてくれるような雑魚が相手だったからよかったが、今、マリアの前にいるのはそうではない。確かに下級魔族と入ってみたものの、実際の所は彼はかなりの力を持った上級魔族に類されるだろう。
長くは考えずに、巨大な炎の球を作り、宙うかべる。勿論、結界付きのちょっとの事では消えないようなものだ。
すぐ横まで迫ってきていた餓鬼をいったんは無視して、その後ろからやってきていたヤツを仕留め、後ろを確認することなく短剣を横になぐ。確実な手応えと共に、マリアの背後で何かが地にくずれおちる。
前を見やると、紅い髪の魔族が何かを放とうとしている。
状況は見定めないといけない。事実は認めなければ。
これはどう考えてもマリアが不利だ。
周りは多数の餓鬼や妖魔に囲まれ、正面には相当な力を持った魔族がいる。………。事実を認めるならば、その魔族は自分と同等かそれ以上の力を持っている。
「ちょっと待ちなさいよっっっ!!」
考えたときには既に言葉が出ていた。相手が乗ってくれるかどうか、それはもう賭だ。だが、マリアが今まで生きてこられたのもこの賭に勝ってきたからだ。
もし乗ってくれなかったら、こんな物騒な森にマリアを1人でよこしたエドアルドを恨むしかない。
「卑怯じゃない?か弱い乙女1人に大勢で打って掛かって!!」
自分でも疑いたくような台詞に、魔族も同じように反応を示した。
「か弱い?」
勝った。
その思いは顔に出さずに、畳みかけるように言い放つ。
「そうよ!この私の何処がか弱くないって言うの?それに、汚いやり口。1人に対してこんなに大勢で……。騎士道に反するわよっ」
「なっ、何だとっ」
反論をする間キルシュの攻撃は止み、マリアにも多少の余裕が生まれる。勿論、それを狙っての発言だった。
「降りて」
その一言に、マリアが作っていた火球は突如として地面に落ち、すごい勢いでその熱い触手を広範囲に広げた。
つまるところ、キルシュの攻撃の手を緩めさせ、その隙に餓鬼共を一瞬にして火だるまにするという力業に出たわけだ。
「これで1対1ね」
「……なかなか面白い事をするじゃないか………」
やや俯き加減にそう言う魔族にマリアは、
「お褒めに預かり光栄よ」
茶化すようにそう言ったが、目は真剣そのものだ。これからが本番なのだから。
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