眠りの森の魔王様 第一章 - 7
  



(………何で死なないのよっっ)
 心中でそう叫ぶ。
 紅い髪の魔族と1対1で戦い始めてから既にかなりの時間が経っている。
 そもそも魔力というのは生体エネルギーと似たようなものであり、たとえ魔族であってもその力が無尽蔵にあるというわけではない。
 それなのに。
 それなのに、である。
 この目の前にいる魔族はいっこうに疲れた様子を見せないのだ。力を極力抑えているマリアでさえ息が切れてきている。正直言ってもうそう長くは戦えないだろう。
 しかし、何故かいっこうに力を押さえようとはせず、先程からかなりの速度で魔力を使っている魔族の方は汗一つ見せていない。
 もしかして、この魔族の魔力には限りがないのだろうか。
 あるはずもない事を考えてしまう。
「煉獄の宴っ」
 マリアが放った炎は魔族を囲み激しく燃え盛る。
「凍てつけ」
 だが、その一言でマリアの炎は無に帰した。
「……ああ、なにこれ」
 ここまで来れば弱音の1つや2つ吐きたくもなる。しかもマリアはこの魔族と戦う前に強大な結界を2つも解いているのだ。
 そして何よりもまず、魔力は元々魔族が有する力だ。人族の持つ力などたかが知れている。例え、マリアの力が他の聖士たちよりも並はずれて大きな力を持っていたとしても、逆立ちしても魔王にはかなわない。
「沈黙の場」
 静かにそう呟くとその場の砂埃やくすぶっていた炎が全て消えた。
「何のつもりだ」
「しばらくの間、魔力は使えないわ。少し聞きたい事があるの。単刀直入に聞くけど、貴方は魔王なの?」
 初めはいぶかしげだった魔族の顔が徐々に歪み、最後には高らかな笑い声を上げた。
「魔王?この我が?」
「そう。違うの?」
「あんな奴と一緒にするのか、この我をっ!!」
 違うのだ。
 こいつは魔王ではないのだ。では、何故あれほどの力を持っているのだ?自慢ではないがマリアはこれまでにも数度上級魔族と戦っている。際どいところではあったが、勝ってきたのだ。それなのにこの魔族はあれほど魔力を使いながら疲労した様子が一切無いのだ。
「……貴方は何者?」
「我か?我はキルシュ=レディン=ゼウセール。人は蘇芳の君と呼ぶがな」
「蘇芳の君?なら貴方は四公の1人なの?」
赤い色の名を名乗ることが出来るのは四公の1人のみ。冷静にそう考えると同時に、四公ならば敵わないのではないかという思いも脳裏を過ぎる。
「そんな事をお前が知る必要はないさ。もうすぐ死ぬのだから」
 その言葉が合図になったかのようにマリアの術が切れる。
「炎の刃よ」
 一斉に襲いかかってきた炎を必死で避けながら、必死で頭を使う。
 先程の言葉を信じるのならば、この魔族は魔王ではない。では魔界の四界を統治する四公なのだろうか。
 分からない。でもこれは変だ。
 マリアの経験がそう告げている。自分がこれほど疲弊しているというのに何故相手は全く疲れないのだ?
 どこからか魔力を送っているとでも言うのか?
 それとも、こちらの魔力を引き出して取り込まれたのだろうか?
 あるいは、何処かに魔石を?
 魔石というのは自分や他人の魔力を、魔力を取り込む事が出来る特殊な石に蓄えたものだ。だが、大量の魔力を蓄えるには魔力の量に比例してその石も大きくならざるを得ない。今までキルシュとか言う魔族が使った魔力を全て魔石に蓄えようとするならば巨大な魔石が必要だ。だが彼はそんなものなど一切身につけていない。魔石でないとすれば………。
何処かに彼は何かの貴石を身につけていただろうか。魔石のように魔力を封じる事の出来るような石を。
 貴石……?
 そこでやっとマリアの思考が最初に見た、あの紫の宝玉に思い至った。
 キルシュの紫苑の宝玉。
 あれは封印石?
 もし封印石ならば、封印されているものを解放すればそれで話はすむ。仮にも封じられていたのだ、多分、あの魔族を倒してくれるだろう。倒した後にこちらが攻撃されないという保証がないが今は細かい事まで構ってはいられない。
 ホルダーから銃を引っ張り出し、キルシュめがけて残っていた弾を全て撃つ。
「何処をねらっているんだ?」
 そう言いながらキルシュはいくつかの火球を放った。
 なぜか少し隙を見せてしまったマリアはそれらの全てをかわす事は出来なかった。戦闘服に覆われていた部分は大丈夫だったが、手の甲とマリアの長い髪は一瞬で焼けた。髪が焦げるあの匂いと、皮膚が焦げる異臭が一瞬あたりに漂う。
 さすがのマリアも顔をしかめる。
 その様子を見てキルシュは一気に勝負に掛かってきた。続けて高度な術をいくつも放つと、自身でマリアの懐に飛び込んでくる。
 マリアは魔術を避けながら後退する事しかできない。
「そろそろ終わりかい?命乞いでもしてみたらどうだい?」
「だれがンなことするのよっ!それより自分のことを心配したらっ!?」
「最後には負け惜しみか?」
「………」
 マリアの沈黙をどう取ったのかは分からないが、キルシュはゆっくりとマリアに近寄ってきた。
 その時、マリアが小さく何かを呟いた。そして、キルシュが気づいたときにはそれは彼の真上にあった。
 砕けた岩盤の欠片。先程マリアが銃で崩して置いたものだ。
 キルシュは避けるだけで精一杯。それが最後のチャンスだった。
 マリアは彼のその一瞬の隙をついて短剣を彼の紫苑の石めがけて投げつけた。
 当たって!
 投剣の腕前はあまり自信がない。しかし、他に手はなかったのだ。銃弾は使い切った。封印石の性質が分からない以上魔力は使わない方が無難である。
 マリアの願いが通じたのかどうか、それはどうか分からないが岩が砕ける音に混じって、ピキッという音が確かに聞こえた。
「なっ……」
 キルシュの顔に驚愕の色が浮かぶ。
 砕けた宝石から濃い紫色の煙が達のぼる。その煙の中にうっすらと人影が浮かぶ。次第に薄れていく煙の中に浮かび上がったのは………。
「って、何であんたがここにいるのよっっっ!!」
「また会えて嬉しいだろう?」
 割れた封印石の中から出てきたのは、あのフェルスだった。
「全然っ!!そんなことより。あんた一体何者なのよっ!?ってか、何で封印されてたのにそこら辺歩き回っていられたのよっ?」
「あまり気にしない方がいいと思うが。そんなことより、まず先にアイツを片付けなければな」
 フェルスのほぼ真横で、驚いたままの表情で固まっているキルシュはその言葉で我に返った。
「ふっ、ふん。何百年も眠っていたお前がこの我にかなうとでも思っているのかっ?」
 言葉は強気だが何故か声が震えている。だが、マリアはそんなことに気を止めてはいなかった。注意すべき言葉は一つ。
 何百年も眠っていた?
「そうかな?私ならばだからこそ、力が温存できていると考えるがな」
 フェルスもキルシュの言葉を肯定しているようだ。
 これはどういう事だろうか。
 キルシュほどの魔族が恐れをなして、数百年間眠りについていた者。
 これの意味することにマリアが気づかなかったわけではない。ただ、その浮かんできた間違いなく正解だろうと思われる答えをマリアは否定し続けていただけのことだ。
「私のいない間に色々とやってくれたようだな?しかも、この私から魔力を奪いもしたな?」
 徐々に顔を青ざめさせていくキルシュ。そして。
「漆黒の闇へ風と共に渡らん、統べるは暗き王者、誘うは深き腕。閉じられし路を今再び開かん、暗黒路よっ」
 早口でそうまくし立てた。
 見る間に彼の前に暗い渦が巻いてゆく。
「我は逃げるのではないっ。そこの所を間違えるなっ?我は戦略的にいったん退くだけだからなっっ」
 あっけにとられるマリアの前で、キルシュの姿は瞬く間に闇に飲まれた。つまるところ魔界へ逃げ帰ったのだ。
「………。逃げただけじゃない……」
 そう小さくぼやいたマリアに、フェルスは
「いや、完全に逃げたわけではない」
「どういう事?」
「人界から魔界にはおいそれといけないように結界が張ってある。魔界には戻れず、境界をしばらく彷徨い、またこちらの世界へ戻ってくるしかない。まあ、あの巨大な結界からひずみを見つけられれば話は変わるがな」
 ……。
 駄目ではないか。要するにはまた人界に被害を及ぼすかも知れないではないか。
「なんであの場で殺らなかったのよっ?また、こっち側に被害が出るじゃない」
「まあ、色々と理由があるのさ。それより聞きたいことがあるんじゃ無かったのか?」
 その一言で、先程の思考が蘇ってきた。何よりも重要なことは……。
「あんたは何者?」
「もう分かっているんだろう?わざわざ聞く必要があるのか?」
 今度はマリアの顔が青ざめる番だった。
 自分は魔王を解放してしまったのだ。
「アイツに殺される〜〜〜〜〜〜っっっ!!」
 アイツというのは他でもない、エドアルドのことである。本気でこのままとんずらでもしようかと考えたとき、もう1つの疑問が浮かんできた。
「何で封印されてたはずの魔王がそこらを歩き回っていたのよ?」
「ああ、そのことか。それはだな、私の力がとてつもなく強大だったからさ。あんな封印石一つでこの私が完全に封印できるはずがないだろう。封印されてからも意識をとどめ、幻影を投じていただけさ。気づかなかったのか?」
 あれが幻影?
 誰がそんなことを信じられるだろう。ちゃんと実体があったのだから。
「で。問題はここからよ」
 まだ驚いている自分の意識を無理矢理引き締め、フェルスを睨みつけながら口を開いた。
「私と戦るの?」
 マリアの茶に近い瞳と、フェルスの紫の瞳が絡み合う。
 本当は一瞬のことだったのだろうが、かなりの長い間のように感じる緊張が過ぎフェルスは言った。
「まさか」
「はあ?」
 多少気抜けしつつもマリアが問う。
「私はお前に興味があるし、なかなか気に入った。それに、奴に散々魔力を取られたからな。今お前と戦っても殺られるのがオチだろう」
「ってことは。さっきのキルシュに言った言葉ははったりだったわけ?」
「その通り。まあ、しばらくこっちで暮らしてみるさ。勿論、人界に手を出したりはしないから安心して構わないぞ」
 さすが魔界の王と言うだけあっていい性格をしている。
「……。信用に足らない言葉ね」
「信用できなくとも、これからは共に暮らすのだから見張っていればいいだけのことだろう」
 …。一緒に暮らす?誰と誰が?
 固まったマリアを見ながらフェルスは先程火傷を負ったマリアの左手を取り静かに口づけた。一瞬違和感を感じたが、己の手を見てみると見る間に傷が治っていた。
「言っただろう、気に入っていると」
「っじょっ、冗談じゃないわよっ!?何であたしがあんたみたいなのの面倒見ないといけないわけっ?」
「なぜって、たった今契約を交わしたからさ。まさか契約の仕方を知らない訳じゃないだろう?」
 契約というのは互いに血と血を交わすあれのことだ。
 手の甲にフェルスの口づけの感触とその直後の違和感がが蘇ってくる。この時に契約をされたに違いない。
「なんでそう言う勝手なことをするわけっっ?今すぐ解いてやるっ!!」
「そんなことをしていいのか?」
「どういう意味よ…」
「魔王の封印を解いたと他人に知られれば困るのはお前の方なのではないか?」
 何の反論も出来なかった。
 出来るはずもなかった。
「あんたなんて大っ嫌いよっっっっ」



「フェルス様もお人が悪い。けれども、あのマリアという人族の少女はなかなか興味深い存在ですからね。あの封印は投剣で壊れるようなものでは無いのですから。今まで私が何度試しても出来なかったことをいとも簡単にやるとは。本当に面白い少女ですよ」
 空の高いところで、そう青年が言った。
 肩まで金髪を風に揺らしながら、その人の良さそうな顔に笑みを浮かべている。
「それにしても、面倒は起こして欲しくないものですねえ。後始末は私にまわってくるのですから」



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