眠りの森の魔王様 第二章 - 2
  



 聖教徒会の本部には世界の各地から集められた精鋭がそろっている。勿論、訓練所を出たばかりの見習いもいれば、王都にかの人ありといわれる聖士もいる。
 全員を合わせると軽く500を超えるだろう。
 その全てが寮に入ることを強制される聖教徒会では、<セナリス>や聖会に所属する最高幹部や王侯の子弟といった一部の例外を除いて皆が教会本部に併設された施設の中で暮らしている。 
 王都(とは言っても王宮からはかなり離れたところにあるのだが)にこれほどの敷地を構えてまで全寮制にするのにはそれなりの訳がある。
 理由の1つは緊急の事態の際、招集をかけやすくするためだ。
 もう一つの理由としては機密の保持が挙げられる。例えば任務に関わる重要書類は教会の敷地から外に出しただけで懲罰が課せられる程に、教会は情報の漏洩を恐れている。
 そして最後に、これが全寮制を維持する最たる理由なのだが、聖士を監視・統括するためである。
 魔力というのは人の身に過ぎた力である。
 もし、魔力を持った人族がその制御方法を身につけずに生きようとすれば、ある時点でいつかはその魔力が暴走する。
 天界人でも魔界人でもない、その混合体である人族の体では負の力であろうが正の力であろうが、完全にその力を受け入れることが出来ないのだ。もともと魔力の器としての機能を備えた天界人や魔界人とは根本的に体のつくりが違い、人の体は脆すぎる。
 結果として魔力に人族の体が耐えられなくなったときに、その魔力は暴走する。その確率は幼少期を境に跳ね上がることが統計で確認されている。
 教会が、ひいては教会を国教と定める王国が、魔力を持った人族を探し出し彼らを聖士として採用してその制御法を身につけさせるのは救済措置としての一面もあるのだ。無論、聖士となるにはその力が少なすぎる者もおり、そういった者には己の魔力を魔石に封じてしまうという道も選ぶものもいる。
 厄介なのは前者だった。中にはあくまでやむを得ず教会に所属したのであって、制御法を身につけた後まで教会に所属することを嫌う者もいる。
 しかし教会側としてはそういった人たちをはいそうですかと解放するわけにもいかない。
 魔力は人が持ちえる最強の力である。一歩使い方を誤ればその被害は甚大なものとなり、いとも簡単に人の身を傷つける。だがそれだけならばまだいい。
 問題なのはこの力を悪用するものがいるという事だ。
 何事においても同じだが、魔力も使い方次第で良くもなれば悪くもなる。全ては使う者次第。
 だが悲しいかな、人には欲望が存在し、それゆえに驕りや妬みといった感情が存在する。他の大多数の人族に比べれば遥かに勝る力を得た者がその力をもって犯罪に関わったり、教会に対して反旗を翻したとしてもなんら不思議は無い。
 実際、過去にはそういった事が起こっている。
 その筆頭に挙げられるのは歴史に悪名高い、『イジュレーンの悪夢』。
 大陸北東部の小都市イジュレーンで起こった血の惨劇。自ら【人界の魔王】を称した一人の元聖士がアルデラーン正教をおこし、何十人もの信者を生贄として祭壇に捧げたのだ。
 この事件は一般にはそう伝えられているが、教会が聖士への迫害を懸念して秘匿とした真実が隠されていた。
 その聖士は魔族と契約を結び、その見返りに自らの信者を魔族に与えていたのだ。食事として。
 この事実が明らかになった時教会は慌てた。
 恐れていたことが現実となったのだ。
 この事実が公になれば、教会の権威が地に落ちることは必至。国との協議の上、関係者やその調査に当たった者には口止めが為され、その事件の真相が文章によって後世に残されることは無かった。
 それと同時に、このような事態を二度と起こさないようにと、教会が出した結論が、聖士達を一箇所に集め、監視する事だった。
 そしてこの事件を境にそれまで黙認されてきた聖士と魔族との契約はタブー視されるようになったのだ。
 


 
 大陸東部の街で、魔力を持つ者が発見されたのはそれほど最近のことではない。
 発見されたときのその人物の年齢は27歳。統計で見るならば、魔力が暴走していないことが信じられない程の年齢だ。
 本来ならば、見つけたその時点で保護されなければならなかった。
 だが、実際にはその役目を負うはずの情報部はこの人物を現状放置にし、観察するに止めた。
 この街を管轄化におく教会の東支部で、情報部に開発部から圧力が掛かったのだ。
 開発部に籍を置く研究者達にとって、その人物は稀な肉体反応を示した興味深い観察対象だったのだ。
 もともと有していた魔力が本当に極僅かだったとはいえ、この年齢まで魔力が暴走しないというのは奇跡に近い。どんな要素が重なればこのような肉体が生まれ得るのだろう。研究者達の視点がそこに向かい、調べあげた結果、この奇跡が単なる偶然ではないかという結論がおぼろげに浮かび上がったとき、その次に彼らの興味は必然的にある方向に向かった。
 つまり、あとどの位この人物の体は魔力に耐えられるのだろう、ということだ。
 人体実験を行っていたと言っても過言ではない。
 人一人の命を危険にさらし、データの収集に励むなど本来あってはならないことである。
 もし、そのまま何事も起こらなければこの人物は己が魔力を持っていることにすら気付かないまま、その力を暴走させ一生を終えていただろう。
 検査の網からこぼれ落ちた魔力保有者がその力を暴走させ死亡した、というあまりにも短い情報部からの報告書だけを残して。
 だが事件は起こった。
 観察対象とされていた人物が忽然と姿を消したのだ。
 この時点になってようやく情報部は己の重大な判断ミスに気がついた。開発部からどれほど圧力を掛けられようと対象者を保護すべきだったのだ。
 しかしこの段階になっても東支部の情報部はその失態を隠そうとしていた。その判断を行ったのは上層部の人間で、実際に現場で任務を行う聖士達の中にはそれに反発するものが多かった。
 その中の数人の告発により、ようやく事態は本部の知るところとなったのだ。
 本部の判断は迅速だった。
 どんな事態に陥っても対応が可能であろう優秀な聖士を二人、現地に派遣すること決めたのだ。例え対象人物の魔力が暴走してもその暴走を封じ込めることの出来る聖士を。本部の中でさえ、これほどの人材を派遣する必要はないという意見が出たほどの聖士を。
 そして現在、その優秀な聖士の一方は唇を尖らせながら不満を口から速射砲のように吐き出しつつ、不機嫌オーラを全開にさせ半径2メートル以内に不可視のバリアを張り巡らせながら建物の中を闊歩していた。
 すれ違うものは皆、祟りを恐れるかのようにその人物を避けていく。
「明らかに情報部のミスじゃない。何だってあたしが尻拭いをさせられなきゃいけないのよ」
 手渡された書類に目を通しながら、寮への最短コースを取り足を進めていく。
 規則正しい歩幅で歩いていたマリアの足取りが、徐々にスピードを落とし、最終的には完全に止まった。廊下の真中で。
 それまで片手で適当に持っていた書類を両手で握り締め、徐々に顔を近づけていく。どれほど近づけたところで、マリアのずば抜けた視力が内容を読み誤るはずも無く。
「・・・・・・負の力!?」
 ついには口に出してその単語を読み上げる。
『保護対象の名はハルア・シュリズ。年齢は満27歳。健康的な標準男性の肉体を持ち、調査では特筆すべき異常はなし。魔力を有するが、その力は僅かであり数年に一度封じれば日常生活に支障をきたすことは無いと考えられる。魔力は負の力。』
 淡々とした文字で調査書にはそう記されている。
 が、あいにくマリアは能天気でもなければ楽観主義者でもない。
 その三文字を軽く読み飛ばすことなど出来るはずもなかった。



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