眠りの森の魔王様 第二章 - 4
  



 馬車を降り思わず腰を擦ってから、さすがにあからさま過ぎたかと思いマリアは御者の方をみやった。しかし御者席に座ったままの男は大して気にした様子もない。
 列車を降りてから、丸半日。整備の行き届いていない田舎のでこぼこ道を揺られ続けてマリアの腰は痛みを訴えていたが、それはそれ。
 なにもこの御者のせいではないのだから、感謝すべきところはきちんと感謝しておかなければならない。
「おじさん、ありがと」
 マリアに続いてエリーナとフェルスが降りると、代金は先に貰っていたのだろう、御者は馬に鞭を当てると砂煙を巻き上げながら去っていった。
 空中に舞い上がった砂を避けるために咄嗟にマリアは口を塞ぐ。
「ほ〜んとに、何もない田舎ねぇ」
 そうぼやいたのはエリーナだ。
 マリアはその言葉につられて、周囲を軽く見回す。
 馬車が2台行き違うのがやっと、といった幅の道に店が軒をつらね、どこからかシチューの香りが漂ってくる。
 だがその店数は多いとはいえず、商店街は大人ならば大した時間もかからずに歩ききってしまえるほどの長さしかない。商店街が途切れてしまえば、そこから先には次の街へと向かう道が伸びているだけだ。
 夕闇が迫っているせいか通行人の数も多くはなく、道を行く者も足早に通り過ぎていく。
 しかし人々の顔には不安などは感じられず、マリア達とすれ違った者はものめずらしげに3人を見た後、愛想の良い笑みを浮かべて挨拶をしていった。
「・・・平和だな」
 フェルスがそう呟いたときに、3人の背後から声が掛かった。
「お待たせしました。どうぞ中へ」
 振り向けばちょうど商店街の真中に位置する教会の扉が開き、先に馬車を降りていたジルトが一段高くなったその場所から降りてこようとしているところだった。
教会内に案内された3人は礼拝所を通り過ぎると、ジルトの案内でこじんまりとした小さな部屋へ通された。
 そこはかとなく給湯室のような雰囲気が漂っているが、一応数台の机と椅子が並べられ簡易作戦室のような体裁を繕っていた。
 まあ、無理もない。
 このような辺境の一般布教のみを目的とした教会に本部と同等の作戦室など設けられているはずもないのだから。
 その作戦室の中では数人の聖士が起立して3人を出迎えていた。
「この度は我々の判断ミスのために重大な事態を招いてしまったこと、深く反省しております。平にご容赦ください」
 先頭に立って入室したマリアと目が合うやいなや、一番高齢と思しき白髪の聖士ががばっと頭を垂れると同時に残りの2人もそれに習い一斉に頭を下げる。
 格式ばった儀礼などは大の苦手なマリアだがここでおちゃらけた態度を取るのは流石に気が引け、まともな態度で応対することを決める。
「我々に許しを請う必要はありません。むしろ、ハルア本人に請うべきでしょう。第一、この件に関しては管理を怠った本部にも相応の落ち度があることは隠すべくもありません。お互いに協力して早期解決を目指しましょう」
 一息にそう言ってから一歩下がって横に立つエリーナを見やれば、「何その口調?」と言わんばかりの表情を浮かべている。すかさず、蹴りを入れてやりたくもなるがそこは我慢である。
 だが、マリアの口調は次の瞬間に一変した。
「上司のミスの尻拭いをさせられるのは部下の宿命みたいなもの。重い宿命を抱えた者同士、愚痴でも言い合いながら早くこの事件を解決させましょ」
 マリア本人にしてみれば(他人に対する)最上級の親しみがこもった挨拶をかましたわけであったが、深読みすれば「貴方達の上司は能無しね」とも取れなくない台詞を言われた当の相手方にとってそれがマリアの善意であると受け止められるかどうかは甚だ疑問である。何しろ、末端支部のさらに下っ端である己が身分と本部の最エリートたる第一実行部隊の身分を比べて、嫉妬を覚えるなという方が無理なのだから。
「流石に優れた実績を残されておられる御方は寛容で、忍耐強い。我々も是非とも見習いたいものです」
 白髪の聖士は頭を挙げてにこやかにマリアに答えながら、三人に席を勧める。
「自己紹介をさせて頂きますと、私はヨナスと申します。聖士の位階は準2、修道士です」
「では私も。第一実行部隊所属マリア・ウィルビッシュ、聖士の位階は特1、立場としては修道女。隣のコレは」
 そこで徐に隣に腰掛けたフェルスを指差し、
「私の契約者。名はフェルス」
 マリアが簡潔に終わらせた自己紹介をエリーナが引き継ぐ。
「同じく第一実行部隊所属エリーナ・グラニアスと申します。位階は1、立場としては修道女にあたります」
 聖士の位階と教会内での身分はバラバラである。もっとも教会内で最上位に位置する数少ない者達に限定すれば位階と身分が比例しているのだが。


「で。この待遇は何な訳?」
 口の中にキャンディーを放り込みながら、エリーナが苛立ったようにそう言う。いや、ようにではない。実際エリーナはかなり苛立っている。
「どうせ東の情報部からの差し金でしょ」
 ズバリと確信をつく答えを返したのは勿論マリアである。机の上で薄い焼き菓子を細かく割っているその様子からマリアもエリーナと同程度には苛立っていることがハッキリと読み取れる。要するには物に当たる性格なのである。
「また?上でどんな小競り合いやってるかは知らないけど、実際に動く私達にはこれ以上ないほど迷惑な話よね」
 つまるところ、情報部と実行部はあまり仲がよろしくない。情報部は実行部を「頭を使わない連中は楽だ」と言い、実行部は情報部を「自ら戦わない臆病者だ」という。しかしこの対立は近年薄れてきており、少なくとも表立った対立は姿を消した。
問題は本部と東支部の対立である。
正確に言うならば、東支部の本部に対する反発である。本部が最精鋭の集団ならば東支部は精鋭の集団。そういったことに対する僻みも加わり、東支部は本部に支援要請をするのを嫌がるのだ。曰く「管轄地域を管理できないなど無能の証明」、「矜持にかけても要請など出来ない」ということだが、本音はこれ以上本部の者ばかりに手柄を奪われたくない、であろう。
つまり3人は東支部内で決着をつけたいので、もうしばらく静観していろと言われたわけである。
「聖服を着ただけで心広き聖人にはなれないさ」
 痛烈な皮肉を吐いたのは、この短期間で教会内の力学関係を学習したフェルスである。この辺の順応能力の高さは流石魔王といったところである。
「お言葉ごもっとも。・・・ここにその代表格がいらっしゃるから、反論すら出来ないわよね」
 肩を一度すくめてから、エリーナはマリアに視線を向けながらからかう様にそう続けた。が、黙っているマリアではない。
「聖人?そんなもんこっちからゴメンだっての。あ〜、イライラする!」
「その意見には同感ね。・・・・・・こんなことなら急いでくる必要なんて無かったわね」
 エリーナはそういうと席を立ち、窓際へと近寄る。
 到着してから一夜明けた今日は快晴で、町の通りに面したその窓からは往来をゆく人々の姿が見ることが出来る。
「本部に報告があってからもう5日近く経つわよね?」
 確認するようにエリーナがそう言う。
「今日で丁度5日、よ。東の連中もいい加減に諦めればいいのに」
「・・・姿を消してからはゆうに7日は経っているわけよね。ハルアは本当にまだこの町にいるのかしら」
「その確信があるからこそ私たちを派遣したんでしょ。今更何言ってるの」
「本当に?」
 エリーナの言葉にマリアはソファーから立ち上がりながら答える。
「もともと監視だけは怠っていなかったのよ。最後にハルアの姿を情報部が確認したのは彼の家。姿を消す前から町の西は張ってたからそっちから町を出た可能性はナシ。町の東と南は切り立った崖に面した海で、北は深い森。北も一応監視していたみたいだからこっちからの可能性も薄い。ってことはやっぱりまだ町の中にいるんでしょ」 
「・・・・・・。そういえば昨日馬車の中で何か言いかけたわよね?」
 突如思い出したかのようなエリーナの問いに、マリアは脳内の記憶を探る。すぐに思い当たったが何となく話し出す気になれず、しばらく黙り込んでしまう。
「ああ、確か書類が何とか言っていたな」
 エリーナに便乗したフェルスの言葉に急かされ、ようやくマリアは口を開く。
「・・・魔界の力を持つ人族は魔に落ちやすい」
「魔に落ちやすい?」
 初耳だとばかりにエリーナが怪訝そうな顔をする。
「丁度いい機会だ。以前から気になっていたが、人族にとって『魔』の定義とは何なんだ?」
 そんな質問をしたのは勿論フェルスである。この質問に対してはマリアが答えるより先にエリーナが返答を返した。
「端的に言えば、人族の畏怖の象徴。善悪といった可別的な概念ではなく、人族とは異なる力や生物に対する総称でもあるわ。昔は魔界も地界と呼ばれていたらしいけど、血の7年を境に人族にとって畏怖すべき世界という意味で魔界と呼ばれるようになったときくわ」
 血の7年とは正しく約400年前の魔王による人界侵略戦争のことである。エリーナは当然ながら、マリアすら気付かなかったがフェルスはその端整な顔に一瞬皮肉げな笑みを浮かべた。
「なるほど」
「聖士の力を総称して魔力と呼ぶことが気になっていたんでしょう?聖天使信仰の教会がなぜ魔界を連想させるような名をって」
「その通りだよ」
 フェルスのその肯定の言葉にマリアとエリーナは顔を見合わせて苦笑いをした。
「普通の人族にとって私達の力は脅威以外の何物でもないってことよ。で、話が逸れたけど、魔に落ちるってどういうこと?」
「ん〜何ていうか。魔族に憑かれすいのよ」
 マリアはそう言うとほら、という視線でフェルスを見る。
「ああ、契約のこと。ま、でもそれは当然といえば当然よね、力そのものの種類が同じなんだから」
「そう、当然ね。誰も疑問に思わない」
 さらりと述べたように見えるが、マリアは自分の言葉に対する2人の反応を見ていた。エリーナは案の定、深くは捕らえなかったようだ。フェルスに関してはよく分からなかったというのが正直なところである。一見、格別反応ありとも見えないが彼ならば表面上を取り繕うなどたやすくやってのけるだろう。
 彼の反応を見ることを諦めたマリアはこのやり取りに一応の終止符を打つことに決める。
「つまり、ハルアは魔族と何らかの接触をもった可能性が高いわ。捕りこまれたら『悪夢』の再来って可能性もあるかもね」



無断転載・二次利用厳禁
Copyright(C) 2004 and beyond Kyoya. All rights reserved.