眠りの森の魔王様 第二章 - 5
  



「くそ、一体何処へ行ったんだ?」
 教会の組織は複雑である。【セナリス】と呼ばれる長老組織があり、その下に実質的な実権を握っている聖会が存在する。これは三大司教と三大司教がそれぞれ管轄下におく実行部、情報部、開発部の要員から構成されている。その1つ情報部とは名前の通り、大陸各地から情報を集めどの地域でどのような事態が発生しているかを調べたり、要注意の人物が現れたときその周辺を監視したりするのが役割だ。
 今、忌々しげにそう言った男、ジャック・エディモンドも情報部に属する聖士だった。
 ジャックは自分を上に行ける人間だと信じていた。
 それがどうだ。初めて任されたこの監視の任務を当初彼は完全に軽く見、その結果がこれだった。こんな簡単な任務に失敗していては上に上がれるどころか、準1級から2級に落とされてしまう。
 彼の苛立っている様子に少々逃げ腰になりながらも隣に立っていた部下が小声でジャックに話しかけた。
「隊長、差し出がましいかも知れませんが闇雲に探すよりもいったん彼の家を調べてから……」
「そんなことをして何になると言うんだっ!」
「あっ、いえ。その、何か手がかりとか、予定表とかが残されているかも知れないと………」
「……くだらん事を言うなっ。一番最初に探したんだ、見つかるならその時に見つかっているわっっ」
「も、申し訳ありませんでしたっ」
 ジャックは頭を下げた部下を見ながら、内心、部下の言うことももっともだと思っていた。
 ハルア・シュリズがロストした当初の捜索では確かに何も出てこなかった。だが、その捜索が充分だったかと言われれば彼はそれを肯定できなかったのだ。
 完全に甘く見ていた任務の最中に突然起こった失踪。
 上に立つものが慌てれば、当然のことその部下達も注意散漫になる。果たして本当にあの捜索は完全なものだっただろうか………。
「招集をかけておけ」
 隣に立った部下にそう一言告げた。


「以上、名前を挙げられた4名は私と共にハルアの自宅捜索を行う。他の者も異変が起こったときにはすぐに駆けつけられるようにしておけっ!手がかりが見つかった場合は私を通さずに直接、本部からの支援者の元へ行き指示を仰げ、解散だ」
 集まった十余名の部下の内、4人だけがその場に留まりその他の者は持ち場へ戻っていく。
「これから、君たちには私と共にハルア・シュリズの自宅へ行き、その捜索を行ってもらう。何一つとして見逃すな。行くぞ」
 ジャックは4名の部下達と一緒に町はずれにあるその家へ馬車で向かった。
 しばらくすると王都とは比べようもないが一応並んでいた店々も姿を消し、両隣には細々とした畑や草原が見えるようになる。
 数本の木々に囲まれた小さな家の前で馬車が止まった。
 ジャック達が馬車から降り中にはいると、そこは外見同様質素で必要最小限のものだけが詰め込まれていた。
「二人は上を捜せ、1人は私と共にここを、もう1人は家の周りだ」
「わかりました」
 一斉に行動に移る。
 ジャックはまず、部屋を見渡した。
 小さな暖炉と食事の際に使うであろう小さな机と椅子、水瓶、僅かな食料品が入った棚。天井からは数種の根菜がぶら下げられている。
 それらが狭い室内に押し込まれ、男二人でそこにいるだけで窮屈に感じられる。
「隊長、机の下はどうでしょうか?」
 律儀にそう聞いてくる年若い部下(と言ってもジャックと2.3歳しか変わらない)に少々いらだちを覚えながら机を移動するのに協力する。
 机は意外にしっかりとした作りでかなりの重さがあった。ようやく机を移動させると、その下に敷かれた敷物をめくる。
 何もない。
 当たり前だ。前回の捜索でも何も見つかっていないのだから。
「何もありませんね……。机、元に戻しますか?」
 一応そう尋ねてはいるものの、部下の表情は明らかに、出来ればもうこのくそ重い物体を持ち上げたくないと言っている。ジャックもそれに同意見だった。
「後ででも構わないだろう。他の所を先に探そう」
 何かしらの痕跡か手がかりが残されていないか綿密に調べていくが、これといって手がかりになりそうなものも見つからない。
「ここまで探して発見出来ないならば、魔族と接触があった可能性もありますね」
 部下の放った言葉は最悪の予想の内の一つであった。その可能性を否定したいがあまりにこれまでの探索において魔族の探索を行ってこなかったのだが、ここに至ってやっとジャックは観念した。
 ちっと舌打ちをするとジャックは魔力の痕跡を探し始める。この嫌なことを避けようとする己の癖が自分の昇進を阻む最も大きな壁であることに本人は気付いていないが。
「相反する力を求めよ、光は印となって我を道びかん」
 その言葉と同時に、うっすらと燐光を帯びたものが石壁に吸い込まれていく。
「……何も起こりませんね」
 そう言ったのは戸棚の中を調べていた部下だった。
 やはり、あの部下の言うことを真に受けた俺が馬鹿だったのか?そう思いながら、ため息をついたときだった。
「エディモンド隊長、これは何なんでしょうねえ?」
 振り向くと部下が何かを手に持ち自分を見ていた。
「何処にあった?」
「羊皮紙に包まれていたんです」
 部下の手にあったものは見事な水晶細工の小瓶だった。丁度手のひらに収まるサイズのもので細長く、羽のようにも見えるモチーフの付いたふたが付いている。
 中には透明な液体。
 水晶細工は大変高価なもので、この部屋の持ち主がそのようなものを持っているのは明らかにおかしい。
「羊皮紙と一緒に持ってこい」
 手渡された羊皮紙は何も書いていない新品だった。触って調べるが何処にも変なところは見あたらない。
「こっちには用はないな」
 そう言い、その羊皮紙を下に落とす。
「じゃあ、こっちにやはり何か……」
 部下がその小瓶を視線の高さに上げて軽く振る。小さな窓から入ってきた陽光が小瓶に反射しキラキラと輝いた。
「綺麗ですね」
「かしてみろ」
 ふたを開け、中身の液体の匂いをかいでみる。無臭だった。
「何か匂うか?」
 手渡されたそれを鼻に当て、部下も匂いをかいでみる。
「いいえ。ただの水でしょうか………」
 部下がそう言い、それをこちらに返そうとしたときに天井につるされていたかなり大きい根菜の1つが彼の頭の上に落ちてきたのは果たして偶然だったのか、それとも必然だったのか…………。
 突然の事態に驚いた、まだ訓練所を出たばかりの経験不足の部下はあっさりとその小瓶から手を離してしまう。
 ジャックがすかさず手を伸ばすが既に遅かった。
 小瓶は光を反射しながらゆっくりと石で出来た床へと落ちていく。
 二人の男の目の前で繊細な細工を施された小瓶は見事に砕け散った。砕け散ったその瞬間に水晶の破片が消えていったように見えたのは目の錯覚なのだろうか。
「なんて事をっ!!」
「すっ、すみませんっっ!」
 顔を青ざめわびる部下の背後で何かが光る。
「おい、どけっ、どくんだっ!」
 ジャックの声に部下も背後を振り向き言葉をなくした。
 そこにはジャックが落とした羊皮紙があり、その上に奇妙な紋様が浮き出て光を放っていた。羊皮紙には僅かであるが濡れている。それは勿論、小瓶の中の液体によってもたらされた変化であろう。
 ジャックの顔色が変わる。
 彼はその光が何を意味するかを察したわけではなかった。羊皮紙の上に浮き出た文様を彼が一瞬で判断できるはずもなく、本能的な直感とでもいうべきもので彼は叫んだ。
「でるんだっ。今すぐにっっ!ここから出るんだっっっ!!」
 ただ光に見とれている部下の背を押し、すぐに傍の扉へと急ぐ。しかし遅かった。彼が扉に触れるか否かという時に羊皮紙に書かれた文様、術は完成していた。
 文様を中心に、異空間へと続く穴がそこに出現する。
 

「隊長?」
 下から聞こえてきたジャックの声に上にいたリズはかけかけた術を途中で止め、部屋一杯に並べられた書物を調べていたもう1人の仲間と共に梯子を下りた。
 誰もいない。
 机がずらされ、羊皮紙が一枚そこに落ちている。
「………」



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