眠りの森の魔王様 第二章 - 6
  



 ベランダに面してもうけられた木製のテーブルと椅子。
 真っ白なクロスが掛けられたテーブルの上にはティーセットと焼き菓子。
 外から入ってくる心地よい風と陽光は窓辺のカーテンと戯れている。
 その優雅な光景を汚しているのは誰あろう、マリアである。糊のきいた白いクロスが皺になることなど気にも留めずにテーブルの上に突っ伏して、先ほどからぐちぐちと苛立ちを露にしている。
 無理もない、彼女たちがここへ来てから既に3日が経過していた。つまりハルアの失踪からまる10日が経とうとしていた。入ってくる情報は何もなく、支部長は渋面のままその日行われた捜査の結果を伝え部屋から出ていく。
 元々、じっとしているのが性に会わないマリアはもうそろそろ我慢の限界だった。いや、マリアだけではない。エリーナとフェルスもだ。
 元々似たような気性の持ち主達である。3日間、我慢していることが不思議だと言ってよかった。
「あ〜、ホント。フォンダンで買ってきたお菓子も底をついちゃったし。ま、聖会も判断を誤ったとしか言いようがないわね」
「何だ、その聖会ってのは?」
「情報部、実行部、開発部の上位者で組織された事実上の教会のトップのことよ。ちなみに我らがエドアルド司教におきましては歴代最年少の聖会幹部候補で在らせられますわ」
 冗談を交えながらエリーナが告げる。
「なんだかんだ言って仕事だけは上手くやるヤツだしね」
 エリーナに応えたマリアの台詞には上司と部下というよりどこか私的な関係をうかがうことができる口ぶりである。
「彼をそこまでこきおろせるのは私の知っている限りアンタだけよ。仮にも現国王の甥にあたるれっきとした王族の一員に」
「教会に王族なんて腐るほどいるでしょ。第一、教会内では封建制の身分なんて無価値に等しいの。そこんとこ分かってるの?」
 その時だった。
 ノックと共にマリア達の意向も確かめられぬままに勢いよく扉が開けられる。
「皆さんの出番のようです」
 入ってきたのはヨナスだ。
「やっと?ま、早いとこ片づけないとね」
 3人は席を立つとヨナスの案内で部屋を出、今し方新しい情報を持って帰ったばかりの聖士の元へと向かった。
 『会議室』というプレートがかかった部屋の扉を開けるとそこには5人の聖士がいた。その中の1人はジルドである。所在なげに立ち尽くしている様を見れば、彼がこの場で活躍できそうな役割はお茶組係しかないであろう。
「彼女たちがそうです」
 そう示された3人のうち1人は女性だった。聖服には情報部の印が付いている。
「本部の第一実行部隊の方々ですね?私はリズと言います。フェルベノン支部に属する情報部員で現在はジャック・エディモンドの指揮下にあります」
「よろしく。くだらない前置きはとばして手短に」
 エリーナのその言葉に3人は格別気分を害したようでもなく、ハルアの自宅で起こったことを簡潔に話した。
「………。消えたのね?」
「はい、多分。私たちが階下へ下りたときにはもう誰もおらず、外にいた仲間は誰も出てきていない、と言っているので」
 そうでしょ、と言うように左隣の男を見上げる。男もそれに答えて肯定を意味し首を縦に軽くふる。
「怪しいものは何もなかったの?」
「羊皮紙が一枚落ちていましたが新品で、何も術は施されていませんでした」
「その羊皮紙は?」
「一応ここに……」
 手に持っていた鞄の中から緩くまかれた羊皮紙を取り出す。手渡されたそれをマリアとエリーナは調べたがどうやらただの羊皮紙のようで本当に何も施されていない。
「ま、このままここにいても何か変わる訳じゃないし、とにかくそこに行ってみないと」
「そーね。ところでその場所は今はどうしているの?」
 マリアはエリーナの言葉に賛成の色を表してから気になっていたことを聞く。
「今は、家の周りを数人の仲間に見張らせていますが中には私たち以外に入った者はいません。何がきっかけで隊長達が消えたか分かってないので」
 リズの言葉を合図にマリア達は部屋を出た。
 下に止められていた二台の馬車に分乗しハルアの家へと向かう。
 馬車の窓の外に広がる街の様子は穏やかなもので、食料品扱っている店や衣料品店に客達が入っていき、道ばたでは子供達が遊んでいる。
 その中の数人が教会の印の付いた馬車に気を止め、軽く頭を下げて敬意を表す。それに答えてマリア達も軽くお礼を返す。
 街は平和そのものだった。




「あ〜あ、つまんない男」
 炎よりもなお紅い髪をした女がそう呟く。
 その足下には1人の男が横たわっている。いや、倒れている。意識はないようだ。
「たったのこれっぽちしか持ってないなんて」
 女は手に握った石を軽く上に放り、それを受け取る。
 光の角度によって青にも緑にも見える不思議な石。それは今し方、倒れている男の体から抜き取った魔力の結晶、魔石だった。
「それにしても何だってこの私にこんな役目がまわってくるのかしら」
 何故、彼女がここにいるか。
 その理由は単純かつ必然であり、かつ偶然でもあった。つまり、彼女の領民(とはいっても彼女からみれば最下級のゴミに等しい者だが)の1人が人族との接触を図ったのである。ここまでなら彼女の部下の関知することにはならず放置されていただろうが、人界においてそれがちょっとした事件になってしまえば話は別である。しかもある人物がこの事件に関わるならばなおさらのこと。
 領民の起こした事件の後始末が彼女に回ってきたのは必然であり、ある人物の関わりによって領主たる彼女自身がここまで出向かなければならなかったことは偶然である。
 女は自身のほぼ真横に横たわる青年の姿を一瞥した。先ほどまでの魔力の奔流が嘘であるかのように青年は穏やかな呼吸をしている。
 彼女が慈悲も容赦もなく一瞬にして事件の発端を作った魔族を消滅させるや否や、囚われていた人族の魔力の暴走が始まりそうになったのである。
 そのまま暴走させて見殺しにしても良かった。だが彼女は気まぐれで男を助けてみた。それだけのことである。
 青年は女の気まぐれによって己の命が救われたことも知らず、眠り続けていた。
「そろそろ向こうの坊や達が起きそうね。あの人も来ているみたいだし、早々に退散させてもらおうかしらね」
 そう言うやいなや、女を紅蓮の炎が包み込んだ。
 一瞬にして炎は消え、女の姿もそこには無かった。
 後に残ったのは静寂と床に伏したままの男だけ。
 そしてその静寂すらも空間の別の場所から聞こえてきた男の低い唸り声によってうち消されてしまった。

「うぐっ、うっ。……何処なんだ、ここは…………」



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