眠りの森の魔王様 第二章 - 8
  



 歩き始めてしばらくするとマリアは時間の感覚を無くしていた。
 無機質な岩壁に囲まれ、等間隔にともる松明の明かりだけを頼りにひたすら前進するという単調な作業の繰り返し。振り向けば真っ直ぐに通路が伸びており、無論前を向いていてもそれは同じことである。
 もしこの場にいるのが自分ひとりであったならば、発狂するまでにそう時間はかからないだろう。そんな考えがマリアの思考を過ぎった。
 ふと沸き起こってくるのは本当に自分達は前進しているのだろうか、という疑問。
「この通路いつまで続くのよ」
 沈黙に耐え切れなくなったのであろうエリーナが不満げにそうぼやいた。その声に少しだけほっとしてしまう。
「ホントに。というよりココは何処なのよ」
「亜空間だ」
「へぇ、そうなの」
「や、そこはさらりと流していいとこじゃない」
 マリアがあえて無視したその箇所に律儀にエリーナが突っ込んでくる。恨みがましいマリアの視線をうけたエリーナの方もげんなりとした表情を隠すことすらしない。
「あたしだって触れたくないわよ。でもね、何かさっきから嫌な感じがして」
「あ〜、同じく。長居したくない場所よね」
 どうやらエリーナもマリアと同じことを感じていたらしい。
「流石に2人にもわかるか」
 先ほど爆弾発言をかましたばかりのフェルスが少し感心したような笑みを浮かべて2人の方に視線をむけた。勿論、会話の最中も3人の足が止まることはない。
「どういう意味よ、それ」
「この亜空間の魔力が薄れ始めているという事さ」
 マリアとエリーナは互いに顔を見合わせ、相手の頭の上にハテナマークが数個浮かんでいるのを確認する。双方顔には出さないが、訓練所からのライバルが自分と同じくフェルスの言葉の意味を理解できていないことに心中で安堵していた。
「ますます意味が分からないんですが」
 2人を代表してマリアが質問する。
「空間という無限の中の、その空間からの影響を受けない有限の空間が亜空間だ。少なくとも現在の理論ではそうなっているはずだ。この亜空間は故意に術によって生み出された亜空間。それくらいは分かるだろう」
 言葉を切ってからフェルスは2人の反応を確認する。
「でだな、術によって生み出された亜空間を維持するためには魔力が必要となる。だがこの亜空間ではその魔力が薄れかかっている」
 ここまで来れば2人にも話は読めた。
「ちなみに完全に魔力がなくなった場合どうなるわけ?」
 嫌な予感に苛まれながら今度はエリーナが訊く。
「消滅する」
 簡潔な答えだがマリアも今回ばかりは「はいそうですか」と受け流す事は出来なかった。
「ちょっとまって。中にいる人はどうなるのよ」
「単に空間の中に放り出されるな」
「空間って何処よ」
「運が良ければハルアの家。運が悪ければ地底の彼方、だ。前者の可能性は皆無に等しいがな」
 フェルスのその言葉を最後に会話は止まったが、そこから3人の歩調が速まったのはいうまでも無い。


「声がする」
 3人の間に落ちた沈黙を破ったのはフェルスだった。
 その言葉に従いマリアも聴覚に全神経を集中させるが、何も聞こえない。だが人族よりも圧倒的に上回る身体機能をもつ魔族、しかもその王がそう言うのであれば本当なのだろう。
「男の声だ。2人いるな」
 さらに速度をあげて進めばマリアとエリーナにも確かに男の声らしきものが聞こえた。しかし僅かな明かりの中ではその姿は確認できず、相手が誰なのかは判別できない。
「ジャックやハルアだといいんだけど」
 そうだ、相手はハルアが接触を持った魔族の可能性もあるのだ。仮にも亜空間を生み出せるほどの魔術の使い手である。フェルスが味方にいる以上、戦闘で負けることはないだろうがこの亜空間が消滅する前にハルア達を見つけられる可能性はさらに低くなる。いざとなればマリア達はフェルスに転移してもらえばいいが、ハルア達はそうはいかない。
 マリアとエリーナがそれぞれの武器に手を伸ばしかけたとき、フェルスが告げる。
「聖服を着た男だ。お仲間だよ」
 2人は人影すら判別出来ないにもかかわらず、フェルスはいとも簡単に人影どころか色彩まで分かるのだ。人族と魔族との差としか言いようが無い。
 さらに歩を進めるとマリア達にも人影が見え始めた。
「こちらは実行部隊所属のマリア・ウィルビッシュとエリーナ・グラニアス。情報部のジャック・エディモンド殿等とお見受けします」
 マリアが声をあげて向かってくる2人の聖士に確認をとる。
 その瞬間に向こう側で安堵の声が漏れるのをマリア達は確かにきいた。ジャックたちがすぐに駆け寄ってくる。
「ご無事で何より。けど肝心のハルアをはやく探さないと」
 マリア達の安堵もつかの間である。今回の事件の一番の被害者であるハルア・シュリズを早々に見つけなければならないのだ。
「ハルアの姿ならばすでに我々が確認しております」
 ジャックの言葉にマリアは少々意表をつかれた。すでに見つけたのならば何故・・・。
「身柄を確保しなかった理由は?」
「彼は意識の無い状態で倒れていました。外傷はこれといって見当たりませんでしたが・・・」
 下手に動かさない方がよいと判断したのであろう。マリアでも彼らと同じ判断をしたはずである。
「その場所はここから近いの?」
「はい」
 ジャックの返答するやいなやマリアとエリーナが走り出し、残りの三人もその後を追って走り出した。ジャックの言葉通りすぐにハルアは見つかった。
「いたわ」
 エリーナが指指した床の上には明らかに何かが盛り上がっている。
 近づいてゆくとそれは人の形をしていた。いや、正確に言うなら報告書に書いてあった身体的特徴に酷似した人間が横たわっていた。
「ハルア・シュリズね」
「エリーナ、健康状態の確認をお願い」
「呼吸はあるわ……。身体にも異常はないし、極度の疲労から眠っていると見ているみたい」
 細かな確認を行いながらエリーナが報告を行う。彼女は治癒の術の使い手ではあるが肉体的な怪我を癒すことは可能でも疲労までを癒すことは出来ない。
「このまま運ぶしかないわね」
 そう言いながらエリーナはあることに気が付いた。
 ハルア・シュリズから全く魔力が感じられないのだ。
 一般的に訓練を受けた聖士達なら己の力を制御し、その気配を隠すことが出来る。勿論、完全に隠すことは非常に難しく、それはその者が持つ力の大きさに比例して困難になってゆく。
 しかし、未だ訓練を受けてないものならばその様なことは出来ず、それが故に魔族にねらわれることがあるのだが。
「ハルアから魔力の気配が感じられない……」
「…………抜かれた?」
「みたいね」
 正直、マリアは今回の事件を上手く把握することが出来ていない。
「どういうことなの?肝心の魔族は姿を見せないし、ハルアもジャック達も無事。ハルアに関して言えば暴走の前に魔力を抜いてくれたことに感謝すらできるわよ」
 マリア達がハルアに注目している時、フェルスは己が感じたあの気配がどこから発せられているかに気付いた。
 ハルアが倒れていたすぐ脇の壁。
 そこには灰色の石壁に燃えるような赤い文字が浮かび上がっている。マリア達は勿論気付いていない。フェルスだけに分かるように術をかけた後、ほぼ完全にその魔力の気配を消している。
 その文字を読みながら、フェルスはマリア達に気付かれないよう薄い唇に僅かに笑みを浮かべた。


『王たる貴方が裏切り行為?』



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