眠りの森の魔王様 第二章 - 9
  



 部屋を出ようとしたとき、後ろからエドアルドの声がした。
「報告書の提出を忘れるなよ」
「はあっ?何であたしなワケ?諜報部の方から提出するのが筋ってもんでしょっ」
 マリアの言葉にエドアルドは首を振った。
 その動作が彼にはひどく似合わないとどうでも良いことを考えながらマリアはエドアルドに問う。
「どうしてよ?」
「向こうがそう言ってきたからだ」
「なんで断らないのよっ!」
「情報部との関係は知っているだろう?向こうはこっちが出てきたことと向こうの失態でお冠だ。火に油を注ぐまねはしない方が賢明だろう」
「そんなの向こうの勝手っ!」
「いいか、もう決まったことだ。文句を言わずに与えられた仕事をさっさとこなせ」
「じゃあ、何であたしなのよっ!エリーナにまわせばいいじゃない」
「位階からいってお前がやるのが当然だろう」
「………何だって面倒なことばっかりあたしの所にまわってくるのよ………」
 マリアはそう呟くと、そのままエドアルドの部屋を出た。
 廊下に出るとため息が思わずこぼれる。今回の事件の報告?一体何をどう書けばいいというのだろう。
 亜空間を脱した後フェルスはマリアのみに「魔族は私の存在に気付き手を引いたんだろう」と囁いた。言われてみれば確かにその結論に納得がいく。しかし、だ。そのことをどう報告書にかけというのだ? 魔王の存在に気付き諦めたようです、等と書けるはずもない。ちなみに事件の発端でもあるハルア本人は失踪していた間の記憶を全て失っている。
 マリアは肩を落とすとさらに深いため息をもう一度ついた。

 バシンっ!!
 マリアが苛立ち紛れに勢いよく開けた扉がそのまま壁にぶち当たった。
「えっ?」
 部屋に足を踏み入れた瞬間、マリアはその中にいた人物の1人に気付いて目を丸くする。
 その様子を見て机に座って事務作業をこなしていたマリオが席を立ち、その人物に手招きをした。
「マリア、こちらが昨日から本部に転属になったエリック・セルヴィナンさん。以前はカルシューンに勤めていた方です。そう言えば、マリアは以前の任務で彼と認識があるんでしたっけ」
 その言葉にエリックが微笑みながら手を差し出した。
「お久しぶりですね、マリアさん。同じ部隊で働けるなんて光栄です」
 マリアもにっこりと笑いながら差し出された手を握り返すと、
「あの時は色々とありがとう。貰ったメリベの世話が結構大変なの、花は綺麗なんだけどね」
 メリベは大陸でも限られた所でしか育たない植物の事だ。「銀の鈴」の別名を持つ美しい花が咲くことで知られている。勿論、マリアは暗にフェルスのことを言っているのだ。彼の銀髪を「銀の鈴」に例えて。
「そうですか。けれど苦労して咲かせてこそ鑑賞の喜びも味わえるものですよ」
 にっこりと笑いながらそう言い返すこの男も相当食えない。
「本部の案内をしてあげるわ。今は大丈夫?」
 マリアがそう言うとマリオも大賛成だ、と言うように首を縦に振った。勿論、マリオは部屋に入ってきた当初のマリアの様子が相当あれていたので八つ当たりをされるのを恐れてそうしたのだが。
「じゃ、行こうか。そういや、フェルスを見なかった?」
「彼はエリックさんが来る前にここから出ていったきりです」
「ふ〜ん。まあいいわ」
 そう言うとマリアはエリックに話しかけながら部屋を出ていった。
 マリアは建物内を案内することはせずに、敷地内にある庭に出ていく。
「案外早かったわね」
「ええ。マリアさんの口添えがあったからでしょう」
「かも知れないわね」
 マリアはそう言うと、エリックの聖服を握りぐいっと彼を自分の方に引き寄せた。
 マリアの琥珀色の瞳が僅かの距離を隔てたところからエリックの瞳を射る。
「少しでも疑わしい行動をしたときはそれでお終いよ」
「疑い深いんですね。私はフェルシス様、いや、ここではフェルス様と言うべきでしょうか。あの方の臣下。私が動くときはあの方からの命が下ったときです」
「あんた達が一枚岩だとは思わないけれど?賢明な貴方なら……」
 エリックの瞳が僅かに揺れた気がした。勘違いかも知れなかったがそれならそれでもいい。しかしマリアには核心に触れた、という手応えがあった。
「聡い方ですね、本当に。敵にはしたくないですよ」
「はぐらかす気?」
「とんでもない。私は彼の臣下。フェルス様の意に反するようなまねは決していたしません」
 マリアはエリックの服の襟を掴んでいた手を離した。
「そういう事にしといてあげるわ。ちなみに、案内なんてしなくてもいいわよね?」
「それは残念です。期待していたんですが」
 先程の会話などつゆほども匂わせない。
「なら、案内してあげるわよ。どうせ昼から暇だし」
 マリアはそう言うと建物の中へと通じるドアをあけ、少し立ち止まってから、
「手持ちの札は無いわけじゃないわ」
 エリックに聞こえるかどうか、というくらいの小さな声でそう言った。
 彼にその言葉が聞こえたかどうかは分からなかったがエリックは小さく微笑んでいた。
 



「人間の小娘が……」
 薄暗い広間に女の声が響いた。
 宙に浮いた流動体に映し出されている光景に視線を向けていた女と少年は真後ろで上がったその声にそろって振り向いた。
 燃えるような紅い髪をした女は手を握りしめ映し出される光景を食い入るように見つめていた。
「……アンタ会話の内容聞いてた?」
 少年ががそう言ったときだった。
 不意に宙に浮いていたそれが単なる水へと変わり、部屋の床に飛び散った。
「どうした?」
「レムズスよ」
 一方とは対照的な色素の薄い髪をかき上げながらもう一方の女が呟く。
「あの人が?」
 紅い髪をした女がいぶかしげにそう言う。
「そうよ。ま、濡れ場を見られたくなかったのかもね」
 冗談めかしていわれたその言葉に紅い髪をした女はわなわなと震え、その場から姿を消した。
「本気にしたね」
 少年がそう言うと、女は笑って応じる。
「何のこと?」
「まあいいよ。僕には関係ないからね」
 その言葉と同時に少年もその場から消え、後に残された女はただ床に飛び散った水を見つめていた。



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