眠りの森の魔王様 第二章-10
  



 風を感じた。
 頬を撫でる等といった生温い風ではなく、強烈な上昇気流であった。先ほどまで静かであったはずの場の空気が突如として変わり、目を開けていることすら困難になる。
 異変と同時に身構えていたエドアルドは周囲を油断なく見回した。が、風と一緒に舞い上がる砂埃で視界は明瞭ではない。何が起こっているのかを把握できず、隣を歩くフェルスの様子を伺えば彼は空気が上っていく先、つまり空を見つめていた。
 エドアルドもそちらへと視線を転じれば、前方の上空に何かが見えた。人だ。
 徐々に地面へと近づいてくるそれと同時に風の勢いもゆっくりと収まっていく。
 その人影は重さを感じさせないほど緩やかに地表に着地すると、フェルスとエドアルドの方を見やって片手を挙げた。
「変なトコで会うわね」
 普段と何ら変わらない口調でそう言い、こちらへと向かってくる少女は見紛うはずもなくマリアであった。
 安堵の表情を浮かべようとは思わなかった。ただ、思いがけず笑みが口許に浮かびそうになった自分に驚き、そして苦笑した。
 失ってしまうのでは、という漠然と胸に渦巻いていた不安がすっと溶けていく。
 だがそれでも口から出た言葉は叱咤の言葉だ。
「任務を途中で放棄して何をしている。帰ったらすぐに始末書を提出しておけ」
「げげっ!やっぱ放棄したことになるの!?」
 マリアは情ない事この上ない声音でそう嘆いた。
「…通常処分で内々に処理するためだ。フェルスの事を表立って処分は出来ないからな」
 視線を険しくしながらそう言ってやる。実際、フェルスの問題はエドアルドの悩みの種だ。彼の胸中だけにしまって置くには事が大きすぎる。遅かれ早かれ聖会やセナリスは当然のこと、王宮へも話を通さなければならない。
「……。あーそうよね、一緒にここに居るって事はもうバレちゃってるってことよね」
「その件については帰ってから詳しく聞かせてもらおう」
 あからさまに嫌そうな表情を浮かべてからマリアはその責任をフェルスに転嫁した。
「なんでエドが一緒なのよ!一人で来れば良かったじゃない」
「礼の一つも言わずに文句を言うか」
「礼!?そもそもアンタが部下の手綱をちゃんと引いとけばこんな事にはならなかったわよ」
「そうは言い切れないぞ」
 わずかに笑みを浮かべてそう言ったフェルスにマリアは怪訝な面持ちをする。
「どういう意味?」
「嫉妬深い女がいるからな」
「ますます分かんないわよ」




 レムズスが姿を消してから時を経ずしてルビアの前に二人の魔族が現れた。
 色の無い長い髪を結い上げた長身の女と濃い茶色の髪を無造作に伸ばした少年である。
「王はフィルナージュの系譜を同行させていて、見える事は叶わなんだ」
 気怠げにそう言ったのは青公の位にある蒼の座。血が通った存在とは思えないほどに青白いその顔には表情というものを見つけることは出来なかったが、女が現状に大した感心を持っているわけではない事は明らかだった。
「アイツは何もかもお見通しさ。所詮は急ごしらえの策だもの」
 つり目がちな大きな目が印象的な少年、白公はそう言ってからルビアを見やってから言葉を続けた。
「誰かさんが嫉妬のままに事を急がなければ、もう少しマシな結果になっただろうけど」
 あからさまな批判の言葉であった。
 確かに嫉妬心から王の契約者に手を出したのは彼女の失策だった。紅の座としての立場を忘れ、私益のために動いた。しかも、数年ぶりの大公会議から間を置かずして、である。
 だが、結果的に王を魔界に帰還させることが出来たことも事実である。
「王の帰還を1日でも早くと貴公も望まれたはずよ?だからこそ、先日のような茶番に私が出向いた。それがいざ実現すると、事が早すぎると言われるか!」
「早く帰還させればいいというものでもないんだよ。僕達は王に統治者としての帰還を望んだんだ」
 言葉を切ってから少年は、違うかい?と青公に向けて首をかしげる。
 話を振られた青公は軽く首肯してから、口を開いた。
「会議で我らは王に帰還を望み、その旨を記した連署を用意した。が、それは今回のような一時的な帰還ではなく、我らの王として統治者として帰還されることを望んだもの。赤公よ、己が非を認められよ」
 二公にそう言われれば、ルビアも折れるしかなかった。
 沈黙によって謝意を示したルビアに向かって、青公はさらに言葉を続ける。
「じゃが、貴公の行為によって我ら四公の意思が王に伝わった。後は反応を待てばよい」
「連署は無効だと言われたわ。黒公の署名が欠けている、と」
「形式なんて建前さ。要は中身が伝わればいい」
 白公はそう言うとんっという小さな掛け声にあわせて体を伸ばした。その場にいる2人の女が魔族の中でもかなりの長身の部類に入るため、ただでさ体の小さな少年は動作もあいまって殊更幼く見える。ついでにコキコキと首を回した彼は今更ながらに周囲の惨状に気がついた。
「そういやさ、何でこんなぼろぼろなの?」
 彼の言葉通り、周囲はぼろぼろとしかいえない状態であった。白公と青公が通り抜けたはずの扉も、まだ壁に付いていることが不思議なほどに、部屋の壁という壁には無数の穴があき床には瓦礫の山が出来ている。
「・・・・・・・・・・・貴公らには関係の無い事よ」
 しばらくの沈黙の後ルビアはそう答えたが、白公も青公もルビアの性格は知っている。深く考えずともその答えを推測するのは容易だった。
「シェイン君もご苦労なことで・・・・」
 本人が聞けば、理解者が現れたと泣いて喜びそうな台詞を小さく呟くと白公はかろうじて体裁を保っている扉へと足を向けた。これ以上の長居は無用だった。
 



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