眠りの森の魔王様 第二章-9
  



 穏やかな、しかし冷たいものを含んだ声音の持ち主を知らぬ者はいない。
 拝礼したままのシェインにその表情を知る術はないが、きっといつも通り彼は人あたりの良さそうな笑みを浮かべていることだろう。だが、彼がその笑みと等しく情ある者ではないことを魔界の住人なら皆知っている。
 そのまま固まってしまったかのようなシェインの背後から女の声が聞こえてくる。
「来て下さったの?」
「語弊がありますね。来たのではなく来させられたんですよ」
「見えることが叶ったのであれば、私にとっては同じこと」
「貴女の好意と歓待は嬉しく思いますよ。ですが今回は私用ではなく王の命で参ったのです」
 温厚そうな声は静かにそう告げる。だが、彼の機嫌が決して良くは無い事は瞭然だった。
「あぁ、怒っておられるお顔も素敵だわ……」
 うっとりとした声音で小さくそう呟いた主の声が計らずとも耳に入れてしまったシェインはちょっと泣きたくなった。
「戯れで今回の件をおこしたとは言わないでしょうね?」
「私が酔狂で今度の事を起こしたと王はお思いか?」
 ひんやりとした口調だった。が、傍で聞くシェインはその言葉が大嘘であることを知っている。彼の背中は既に冷や汗でだらだらだった。
「ではどの様な思惑がおありで?」
 その言葉にルビアは笑んだ。美しいが毒を含んだ笑みである。
「四公の総意よ」
 それはつまり、魔界の総意ということだ。
 魔界で最も強大な権力をゆうするのは言うまでもなく、魔王である。そしてそれに準ずるのが大公会議である。ルビアの言う四公の総意とは問うでもなく大公会議の決定。その決定は魔王であっても無視できるものではない。
 が、対するレムズスの対応は落ち着いたものだった。むしろその言葉に驚いたのはシェインである。
「ではその連署をおみせください」
「そう言うと思ったわ。シェイン、卓の上の箱を」
 命じられたシェインは隣室に向かうと卓上にあった木箱を手に取り、2人の待つ連理の間へと戻る。
 視線で命じられ、箱をルビアではなくレムズスへと差し出した。
 取り出した連署を開いて見れば、議会の決定と四公の署名が記されてあるはずだ。
 じっと連署を見つめるレムズスを見ながらルビアは口許に笑みを浮かべた。が、視線を上げルビアを見やったレムズスはハッキリと告げる。
「この連署に効力はありませんよ」
「・・・その言葉も想定済みよ」
 2人に挟まれた形で会話を聞くのみのシェインには、その言葉の意味も分からければ何故連署が存在するのかも分からない。
「シェイン、下がりなさい」
 疑問に多くあるががこの場で質問をすることを許される身ではないため、沈黙を保っていた彼に掛けられたのはルビアの退室を促す声であった。否と拒めるはずもなく、ルビアに向かって一礼をした後シェインはすぐさま場をあとにした。
 僅かに落ちた静寂を裂いたのはレムズスである。
「玄の座の署名がありませんよ」
「今更なにを」
「つまりこの連署に効力はないということです」
 大公会議は四公全ての参加と同意によって初めてその意義をなす。しかし、レムズスがその手に持ったままの連署には三公の名しか記されていなかったのだ。
「黒公の姿などこの数百年見かけたものはいない。いい加減、玄の座の代替わりを行えばいいものを御前会議を開けぬから、それも叶わない。王は何をお考えか?」
「王のお考えが私の浅慮が及ぶ所にあるはずもないでしょう」
 人好きのする笑みを浮かべてレムズスはにこやかにそう言い切る。
「・・・・・・何故王座を望まれない、レムズス様」
 つまるところルビアの意図は最初からそこにあった。フェルシスが魔界の王としての責務を果たさぬのであれば、それはつまり彼は王たることを望んでいないということになる。権利をもつ者はそれに等しき責任を持つ。それは魔界の掟だ。王は王でなければならない、と同時に王である意思を持たねばならないのだ。だが、フェルスにはその意思が全く感じられないのである。
 となれば代替わりが行われても良いはずであり、順当に行くならば、次代の王はフェルスと比肩する力をもつレムズスとなるはずだ。
「穏やかではありませんね」
「言葉遊びをするつもりはありません。・・何故王位をお望みにならない?」
 再度、強く問うたルビアの言葉にレムズスはうっすらと笑う。
「王が王たることをお望みだからです」
 ルビアにはやはり、レムズスの言葉が何を意味するのかが分からなかった。
 だが王が在位を望むということは、簒奪者は王との戦いに勝つし事でしか王位を得られないということである。つまりレムズスは己は王に勝てない、だから今は王位を望まないとそう言ったのだ。
 その言外に含まれた意味を読み取れなかったルビアが訝しげに顔をしかめた時、室外より声が掛かった。
「ルビア様、お取り込みの最中申し訳ありません」
「何なの?」
「青公と白公がお見えです」
 予想外に早いその訪問に首をかしげながらもルビアは入室の許可を与える。
「三公が相手では分が悪いですね。私はそろそろ失礼しますよ」
「今回の件について聞きにこられたのではなかったの?」
 レムズスの暇を告げる言葉に内心かなり落胆しながら、ルビアは彼を引きとめようと試みる。しかし、その思惑は外れた。
「お二方が来られたことで察しはつきましたよ」
「と、仰ると?」
「私の引止め役を貴女が、お二方は王と直接お会いになる予定だったのでしょう。しかし、2人の訪問が早すぎることを考えれば王にお会いできなかったようですね」
 ルビアは黙った。
 言えない、言えるはずもない。
 人族の女を攫ったのはレムズスを思うあまりの嫉妬心に駆られてのことであり、それを知った青公と白公があきれ果てながらもその事態を上手く利用する方法を考え付いたなどとはとても言えるはずがなかった。
 しばし、気まずさから口を閉ざしたルビアだったがふとレムズスの言葉を疑問に思う。
「何故、王に会えなかったと?」
「私より遅れてこちらに来た王と見えるには少々時間が短すぎます。加えて王はフィルナージュの系譜への接触を仄めかしていました」
「なるほど」
「では私はこれで失礼しますよ」
 金髪に縁取られた優しげな顔に笑みを浮かべながらレムズスはルビアに背を向けて扉へと歩いていく。
 ただその姿を見つめていたルビアは今一度その顔をみたいという思いに駆られ、思わず声をかけていた。
「レムズス様」
「何でしょうか」
 足をとめこちらを振り向いてからレムズスはそう問うたが、ルビアは思わず名を呼んだだけであり何を言えばいいのか分からない。気がついたときに彼女の口からでた言葉は些細な問いだった。
「人界では何とお呼びすれば?」
「エリック・セルヴィナンと」
 




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