眠りの森の魔王様 第三章-2
  



 本部第1実行部隊待機室。
 待機室とは銘打っているものの結局の所その部屋は第1部隊のメンバーの溜まり場だった。何故なら、本部は本部そのものが待機のための施設なのだから。待機室の中に待機室を作ろうと考えるような馬鹿が、協会設立当時にいただけのことだ。
 そんなことを考えながらマリオは手にした書類に目を通しながらその部屋へと向かっていた。
 いつもと同様、第1部隊を動かせという類の要請は来ておらず、その大部分が全く重要でないにもかかわらず面倒な手続きを要するくだらないものばかりだ。
 目を通していく内に第3部隊からの王都警護の人員の代理を求めるものが入っているのに気がついた。そう言えば、今回の当番であるミグランディスは前回の出動要請の際に重傷を負っていた。あの怪我では術を使った治癒よりも体の回復力に任せた自然治癒の方が効果が高そうなため、当分任務に就く事はできないだろう。
 こちらの部隊の次回の当番に当たる者をまわせばいいだけのことであろう。
そこまで考えた時、マリオは目的の場所である第1部隊の待機室のまえに着いていた。
 いったん思考を中止して、ドアのノブをひねる。
 果たしてそこには誰もいなかった。




 訓練場は教会の敷地内に設けられている。
 広大な敷地内には様々な施設があるが中でも訓練場が最も大きな施設だと言えた。2階建ての屋内訓練場と、フェンスで囲まれた屋外訓練場。その他にも射撃のための施設や、ある程度までの術にも耐えられる地下訓練場。そして魔界や天界、術、ありとあらゆる事に関する書物が集められた書庫も訓練場の一部である。
 これらは全て併設されている訓練所と共同で使われていた。
「術のレベルは中級まで。武器の持ち込みは可。勿論、魔石や結界石、封印石の持ち込みは禁止」
 そう言ったのは審判役をかって出たエリーナだ。その後ろには何もすることがなかった第1実行部隊の面々やどこから聞きつけてきたのやら第2、第3部隊や情報部の者達が2人の練習試合を観戦しようと集まっていた。その数はざっと20人近くにもなるだろうか。
「はいはい」
「わかりました」
 向かい合って立っている二人からほぼ同時に返事が返ってくる。無論、後者の返事がエリックによるものである。
「じゃ、はじめ!」
 エリーナのそのかけ声と同時に試合の火蓋が切って落とされた。
 その場所で訓練をしていた数人の者達を追いやり地下訓練場の中心を陣取った一行のさらに中心で2人は対峙して向かい合ったままゆっくりと円を描きながら歩いている。
 双方共に何らかの構えを取ることも無く、普段となんら変わらない気軽な様子である。これは単純に2人ともが相手の出方を伺っているだけだ。
 だがそんな2人の様子に業を煮やしたのは周囲の観戦者達である。
「いつまでそうしてる気?」
 審判であるはずのエリーナが声と同時に2人に向かってナイフを投げつけたのである。
 利き腕でないはずの左手で投げたナイフと右手で投げたナイフが左右対称の直線を描き出したのは感心すべき箇所かもしれないが、いずれにせよマリアとエリックはその凶器を避けるために同時に動きを見せた。
 エリックが立ち位置から動きもせずにそのナイフをはじき返したのに対し、マリアは大きく身を跳躍させてナイフをかわすと同時にエリックの懐へと走りこむ。その手には小型のダガーが握られていた。
 確実に急所を狙ったその攻撃が防がれるであろう事はマリアも想定済み。先ほどエリーナのナイフを弾いたナイフで受け止められるか、かわされるだろう。
 キンっ
 鋭い金属音が鳴り響くと同時にマリアはダガーからあっさりと手を離し、そのまま慣性の法則に従いエリックの脇をすり抜けると背後に回った。エリックが体勢を立て直す一瞬の隙を狙い、首筋に向かって回し蹴りを繰り出す。
「灼熱の刃よ、煉獄の舞を」
 一瞬にして紡がれた術はマリアとエリックの間に炎の海を出現させる。軽く舌打ちをしたマリアは振り上げた足を炎から遠ざけるために体を捻って床に転がる。受身をとってすぐさま立ち上がったものの、エリックから注意を逸らしたツケは少なくなかった。
 勘だけで立ち上がったばかりの体を沈めると、その頭上をエリックの足が通過する。反撃しようにも体勢の立て直しすらきかず、守勢に立たされ続ける一方である。
「姿なき者よ、己が身を持て刃をなせ」
 マリアが高らかに告げると同時に鋭利な凶器へと姿を変えた風がエリックへと襲い掛かる。だがエリックとてむざむざとその刃に弄られるような者ではない。
 己の正面へと右腕を突き出したエリックは何の補助機も事前動作も無しに眼前へと魔力を放出する。忽ちの内にマリアの生み出した風の刃は魔力へと溶け込みエリックの肌に触れる前に消滅した。


 目の前に広がる息もつかせぬ戦いに各部隊の聖士達は、ある者は耳打ちをしながら、ある者は野次を飛ばしながら観戦を楽しんでいた。使っていた場所を追いやられた訓練所の生徒達は次元の違う戦いっぷりに訓練を忘れて見入っている。
「あのマリアを相手にまさかここまでやるとはな」
「ああ。魔力の制御力にも目を見張るものがある」
 彼らの会話にのぼるのはマリアではなくエリックだ。マリアの実力は訓練所時代から皆知っているが、ついこのあいだまで辺鄙な村で働いていたエリックはまだまだ未知の存在。興味が集まるのは自然なことだろう。
 まったく、とんでもない人材が埋もれていたものだ。
 審判役を放棄して試合を楽しんでいたエリーナは胸中でそう呟いた。魔力にしろ体術にしろエリックのそれは目を見張るものがある。何故彼ほどの人物が本部にいなかったのかが不思議なくらいである。
 そう思ったところで奇妙な視線を感じ、エリーナはさっと背後を振り向いた。そのエリーナの動きにつられ周りにいた数人も背後を見る。
 そこには顔に奇妙な笑みをたたえたマリオがいた。こめかみに青筋が浮いているのはどう見ても目の錯覚ではない。
 その様子に気がついた観衆達は皆、背後を振り返り固まった。
「皆さんこの様なところで一体何をなさっているんでしょうか?」
 妙に丁寧な言葉が彼の怒りを表している。
 彼が本当に怒るととんでもないことになる。それを熟知している観衆達はさっと顔色を変え、一歩背後に下がった。
 観衆達の様子に気がついたマリアとエリックも動きを止める。
「人が戻ってきてみれば部屋はもぬけの殻で?もしやと思って他の隊を見てみればそこにもほとんど人がおらず?あなた達は教会を何だと考えているんですかっ!?」
 彼の真面目さは本部でも特に有名だった。
「もしも緊急の招集がかかった際、待機室には誰もいない、なんて事態が起こったら一体どうする気なんですかっっ!!」
「そ、そこまで心配しなくても……」
 そう言いかけた壮年の男性――第1実行部隊に所属する聖士でマリオよりは上位に当たるのだが――の声を遮りマリオはさらに続ける。
「そこまで心配しなくても!? 我々の任務はいつ起こるとも限らない事件に備えて日々待機しいつでも出動できるようにしておくことなんですっ!それをっ」
「はいはい。もう分かったから」
マリオの言葉を遮ったのは取り巻く観衆を掻き分けて出てきたマリアだった。
「本当に分かってるんですかっ!? だいたいマリアは普段から聖服も着ないでっ!訓練する時くらいは簡易戦闘服ぐらい着ないと危ないと言うことが分からないんですか!?」
 何時の間にやら標的がマリア1人に移っていく。それを好機と見た他の聖士達は1人また1人と訓練場から抜け出していった。
 無論、その中にエリーナの姿も混じっていた。



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