眠りの森の魔王様 第二章-6
  



 時間は少々遡る。
 あっさりと白旗を上げ、囚われの身となったマリアは魔界へと連れて来られていた。
 人族のマリアにしてみれば転移術など滅多にお目にかかれない代物であるというのに、魔族達はいとも簡単にそれを行使しマリアを城のような建物の中へと連れてきた。
 客観的に見れば危機的な状況であるというにも関わらず、マリアは顔色1つ変えず魔族達に囲まれて歩いていた。ある扉を通過してすぐ一行の歩みが止まると、マリアもそれに倣う。よくよく周囲を見れば一行の前方には薄い紗が幾重にも重なって天井から下げられ、視界が遮られている。
 と、それまで無言を保っていた魔族の1人が声を発した。
「ディルグス、マディ、シェインの三名只今帰還いたしました。拝命した任務、滞りなく完了いたしました」
「ご苦労。ではその女ここへ連れてきなさい」
 紗の向こうから低くはあるが間違いなく女のものである声が返ってくる。
 予めその言葉を予想していたからこそ、魔族達はこの場へとマリアを伴ったのであろう。
 左右と前方の三方を魔族達に囲まれたまま、マリアはその部屋へと足を踏み入れた。
 紗の向こう側は思っていた程は広くなく(とは言っても、マリアの寮の自室の10倍はあったのだが)、奥に豪奢な椅子が据えられており、女が1人それに座っていた。
 炎よりなお紅い真紅の髪に、象牙色の肌。瞳は髪と同じ炎の色をしていた。
「あたしに一体何の用?」
 魔族達は頭を垂れて一礼をしたが、マリアにはそんなことをする気はさらさら無かった。
「憎々しい小娘よ、お前は礼儀さえ知らぬか」
 女は椅子に座ったままそう言う。
「礼儀とは本人が尊び、敬慕に値すると信ずる相手に尽くすもの。あたしがアンタに礼儀を尽くす謂われはない」
「口だけは達者なようだな」
 女のその言葉と同時にマリアの頬を舐めるように炎が通過していく。
「つっ」
 頬に軽度の火傷が生じ、髪の毛が焼ける匂いがマリアの鼻に届いた。
「短気な女ね、男から嫌われるタイプって知ってた?」
 マリアの煽るようなその言葉は女の神経を凄まじく逆なでした。明らかに女の顔色が変わり、それまで座っていた席から乱暴に立ち上がった。
「………シェイン、この女を牢へ入れなさい」
 隣の女がマリアの腕を掴んで牢へ連れて行こうとしたが、マリアは抵抗はしなかった。




 牢屋、と言ってもマリアが想像したような薄暗い石牢ではなかった。決して狭苦しくはなく、床には簡素だが清潔そうな敷物がしかれている。木製のベッドにも清潔そうなシーツが掛けられ、牢であるにもかかわらず、快適に過ごせそうだった。天井には術で作られたのであろう光球が浮いており、部屋に適度な光を提供している。
 ぽんっ、とベッドの上に飛び乗る。
「………スプリングもなかなかしっかりしてるじゃない」
 そのまま横になるとマリアは思考を巡らせた。
 何かがおかしい。
 まず、マリアが魔界に連れてこられた理由。
 聖士だから、という理由は真っ先に除外される。
 人界に現れた魔族を始末するというその職業柄、聖士が魔族から忌まれていると考えるかもしれないがそれは違う。何故ならば人界は人族の領域。人族の領域に侵入してきたものを生かすも殺すも人族の勝手だ。無論その逆も然り、だ。自分の領地への侵入者を無傷で帰す馬鹿はいない。それはこの400年間人族と魔族に当たり前のように受け入れられてきた常識だ。
 考えられるのは1つだけ。
 マリアが(強制させられたとはいえ)フェルスと契約を結んでいるからだろう。それ以外の理由はマリアには思い当たる節はない。
 魔族にしてみれば彼らを統べる王であるフェルスが、彼らより劣った種族である(と魔族は考えている)人族と契約を結んでいるなどという状況は到底受け入れられないし相当不快に思っているはずだ。
 では彼らがフェルスと自分の関係を快く思っていないのならば、何故自分は生かされているのだろう。契約を解除したければ、契約者を殺せばいい。それが一番簡単だ。
 最初から疑問に思っていたのだ。
 あの時魔族達はどう言った?
『我らの任務はお前を御君の元に連れて行くこと』
 確かこう言った。なぜ『始末』ではなく『連れて行く』のだ?
 わざわざ御君とやらの前に連れて行かなくてもその場で始末すれば一番手っ取り早い。何かおかしいと思ったからマリアは抵抗することもなくこうしてここに来たのだ。
 かといって後悔がないわけではない。
 ここは魔界。魔族達の領域。
 命を狙われれば生きて帰れるはずもなかった。
「………そこまで考えがまわんなかったのよね。でもフェルスは気付いてるだろうし、何とかなるわよ、きっと」
 普通ならばこの事を真っ先に考える。
 相手の些細な言葉から細かな情報を得、それを元に慎重に情報を組み立ててゆくのもマリアならば、窮地に立たされた時ですら楽観的な発想をするのもマリアだった。
「んなことより、これって王都警護の任務を途中ですっぽかしっちゃった事になるわけ?あー、またエドアルドにねちねちと小言を言われなきゃいけないなんて、最低」
 そう呟いてからはっとした。
 何故、王都に魔族がいるのだ?
 王都はフィルナージュの肉体が地に帰った清浄の地。フィルナージュの墓そのものが結界の役割をして魔族の侵入を防いでいるのだ。そう簡単に魔族が侵入できるはずがない。
 フェルスとエリックも魔族だが彼らは別格だ。そもそもフィルナージュが命を賭した封印すら完全にはフェルスを封じることが出来なかったのだから。
 だがマリアを魔界へと連れてきた魔族達は違う。
 上級魔族ではあるが彼らは御君とやらの配下に過ぎないのだ。
「……なんか胡散臭いわね」
 魔族達が平然と王都に入り込む。
 不完全だった魔王の封印。
 どう考えても道理に合わないし、考えれば考えるだけ理解不能なことが増えてゆく。
 この事が意味することは。
「………基本が間違ってる、ってことね」
 そう、大陸史が。
「王家がそれを秘匿としている?いえ、王家さえも真実を知らない、ということもあり得る」
 でも。
 全てを知っているだろう人物がマリアのすぐ傍にいる。
 魔界の王、フェルシスが。
 無論、そう簡単には教えてくれないだろうが。
「分からないことだらけじゃない。それに頭使ったからおなか空いたし」



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