眠りの森の魔王様 第二章-7
  




 牢屋の中を光球が照らしだしている。暗くは無いのだが、何とも味気の無い光である。
 その純白の球体を見つめながら、一人の少女が簡素なベッドの上に横になっていた。
 少なくとも不潔ではないくすんだ白いシーツを体に巻き付けた少女は、目が痛くなったのか、光球から視線をそらした。
 そして今度は天井を見つめる。
 しばらくの間そうしていた少女は、数回の瞬きのあとに勢いよくベッドから体を起こした。
 少女の動きにあわせて木製のベッドが軋む。
「………来た」
 弓弦がはじかれたような感覚に安堵感を覚える。やはり意識の何処かが不安を感じていたのだろう、短期間の内に馴染んでしまった半身の気配に頬が僅かに緩むのを少女は自覚していた。
 もう動いてもいい頃だろう、少なくともこの世界で死ぬ可能性は無くなったのだから。



 なんら音がしたわけではなかったが、シェインは本能で何かを感じ、その場を飛びのいた。
 着地し、体勢を立て直す前に、彼は自身が0.3秒前にいた場所を純白の塊が打ち抜いていくのを目にした。と同時に、鼓膜が破れるかと思うほどの轟音が轟き、元は壁であったはずの石が彼めがけて飛んでくる。
 格別避ける必要も感じず、とりあえず腕で顔の正面を守るに留めておく。
 腕に石の塊が当たるのを感じながら、彼は深いため息をついた。昔なじみの関係である気安さか、2人になれば彼らの間には主従関係の空気も緩む。
「ルビア様、落ち着いてください」
「あら、まだしぶとく生きてたの?次は当ててあげるからありがたく思いなさい」
 一応制止の声をかけるが、この分ではまだ彼女の怒りは収まらないらしい。
「私ににあたらないでください……」
 僅かな抵抗を試みてみるがそれが彼女に通用するはずもなかった。
 女、ルビアは綺麗に紅が引かれた唇で艶やかに笑むと、片手を腰に当てて男に向き合った。
「主君に向かって随分な口の聞き方じゃない?第一、」
 そこでいったん言葉を切ると、空いているほうの手をゆっくりと上げ、その長い指で男を顔を指してから言葉を続ける。
「私はお前にあたっているわけでは決してなくってよ?この私が、そんなヒステリックで他人の意見も聞かないような自己中心的で思い込みの激しい迷惑な輩であるはずがないじゃないの。そうじゃなくって?」
 目を細めてルビアが彼に尋ねてくる。
 正直言ってしまえば「まさしくそれがあなた様です」と言いたい所だが、彼だって自分の命は惜しかった。
 上級魔族である彼は人族に比べれば寿命も桁違いに長ければ、体も桁違いに頑丈だ。しかしだからと言って目の前の主君の怒りに触れてしまえば、10秒後に彼が生きていられる可能性は毛の先ほどもない。
 不満と反論は心中に押し込めて彼は深く頭をたれると主に向かっていう。
「その通りでございます」
「あら、やっぱり同意してくれるの?さすがは私が見込んだだけのことはあるわ。金剛石の原石は磨けば磨くほど美しくなると言うけれど、生物もきっと同じなのよね」
 妖艶ではあるが彼女の性格をよく知る者から見れば恐ろしい笑顔を浮かべながら、ルビアは喋り続ける。
 その声音になんとなく嫌なものを感じて彼が身構えた時、彼女が彼を指していた指先に白い光球が灯った。
「だから一生懸命磨いてあげるわ。感謝してね」
 言葉と同時に彼を光球が襲う。
 咄嗟に防御の壁を作り出しながら彼は深いため息をついた。
 結局こうなるのだ。
 我が主とはいえこの性格だけはいただけない。普段は冷静沈着なくせに、一旦頭に血が上ると完全に周囲のことが見えなくなるのだ。特に彼女の思い人であるレムズスに関することならば。
「おやめください、ルビアさまっ!数日前の一件での城の修築がやっと終わったばかりであるというのに」
 ちなみに数日前の一件とは彼女が四公との話し合いから帰って来た時に起こったものだ。彼は未だに何故ルビアがあそこまで激昂していたのかは知らないが、あれからずっと彼女の様子がおかしい事だけは分かっていた。
「あら大丈夫よ。いざとなったら龍の目を売ればいいんだから」
「売れるわけがないでしょうっ」
 間髪いれずに彼も言い返す。無論この間もルビアの放った赤色の炎が彼を襲っていた。
 龍の目とは代々緋の座を継承したものに受け継がれる、拳大ほどもある赤玉石のことである。その値打ちは計り知れないが、売ろうとしてもその価値と由来を考えれば買い手が現れるはずもなかった。
「ならばお前が内職でもして稼いで修築費に当てなさい」
「お断りですっ。ってゆうか多分その前に死んでますっ!」
 ルビアの放った超高温の熱刃を避けながら、大音声で反論する。対するルビアの返事はかなり淡白なものだった。
「あら、それもそうね。どうしようかしら?」
 本当に困っているかのように小首をかしげながら頬に手を当てるルビアに向かって彼は精一杯叫んだ。
「納得しないでください!!第一、金銭の問題ではありません」
 このまま永遠にこの言葉の応酬が続くかと思われたとき、女の放った熱波が壁に当たる轟音と共に、静かな声が聞こえた。

「何をなさっているのかと思えば、部下と無邪気に戯れていらっしゃるとは」

 さほど大きな声ではなかったはずなのに、魔族特有の優れた聴覚も手伝って、その声は二人の耳にはっきりと届いた。
 瞬時に二人の動きが止まった。
 これ程までに接近しながら二人にその気配を微塵も感じさせない者など、この世に幾人も存在しない。
 砂埃の合間に見える、その黄金の輝きに一方は膝をつき、頭を垂れ、もう一方は頬を染めて立ち尽くした。



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