眠りの森の魔王様 第四章-3
  



 ふと視線をやれば、そこには銀の髪を無造作に伸ばした男がいた。
 魔族として決して力が弱いわけではないにも関わらず、自身の友人たる人族の少女の契約者に下った変わり者である。
 中庭のベンチに腰掛け、書物を片手に日光浴をしている彼はあらゆる意味で自分の魔族に対する想像を覆した。
 周囲を見回して友人の姿を探すが見つからず、そう言えば彼女は休暇中の身であったことを思い出す。
「ここ暑くない?」
 歩調を変えずにエリーナはフェルスに近付く。わざわざ声を掛けたのは念のためこちらの存在を彼に気付かせるためだ。
 顔だけをエリーナの方にむけて薄く笑んだ彼は返事はしなかったが、こちらを拒否する姿勢は見せていない。
 そのままベンチまで進み、エリーナはフェルスの隣りに座った。
「マリアについてかなかったのね」
「ああ」
「故郷に帰るんだったら一緒に行けばよかったのに。ここに1人残っても外出もままならないだろうし」
 マリアの故郷は大陸西部のグラニール地方、拓けているが自然の色濃く残る美しい一帯である。王家の避暑地もある、羽伸ばしには最適の土地だろう。
「教会もさすがに私を野放しにしたくないんだろう」
 己の事であるというのに、フェルスは涼しい顔でそう言う。
「それもそうね」
 フェルスという存在はこの世界において異端なのだ。加えて教会というのは魔族を狩るために存在するといっても過言ではない。決して居心地は良くないだろう。
「・・・でもマリアが休暇なんて久しぶりよ。なんかあったのかしら」
「親恋しくなったんじゃないか?」
「それはないと思うわ」
 エリーナは己の口より出た言葉が思いのほか響いたことに戸惑ったがそのまま言葉を続ける。
「私とマリアは訓練所の同期で、最初に会ったのは7歳の頃。あいつが訓練所時代に長期休暇をとったことなんて一度もないの。グラニール地方は鉄道と馬車を乗り継いでも最低3日はかかるのよ、往復するだけで7日はかかるのに」
「親が王都に出向いたかもしれないだろう」
「その可能性も低いわ。マリアは私に一度だって家族の話をしてない。・・・魔力はね、特に負の力は忌まれる。教会内にいるから魔力を持っていることが当たり前のように思うけれど、決してそうではない。魔力をもつ者はほんの一握り。それ以外の人にとってはこの力は恐ろしい凶器以外の何物でもない」
「わからないな。王家と王家に近しい貴族は皆魔力を有するのだろう?支配者がもつ力を何故恐れる?」
 フェルスの疑問は尤もだ。尤もだがそれはきっと力をもつ者の思考なのだろう。
「そうね、確かにこの力は崇められることもある。でも、崇められることと忌まれることにどれ程の違いがある?」
 その言葉に返答はない。数拍の後、エリーナは話を変えた。
「昔のマリアが教会で一番懐いていたのって誰だと思う?」
「そう問うからには意外な人物なんだろうな」
「エドアルド・ クロイツェル司教。マリアが教会に来たばかりの頃はエドアルド様も訓練所を出たばかりで身分もまだ低くてよくマリアの面倒見てたわ、ってわたしそろそろ行くわね」
 休憩時間もそろそろ終わりだ。ベンチから立ち上がるとエリーナは真っ直ぐに待機室へと向かった。




 車輪が小石を弾いて車全体が軽く揺れたかと思うと、そのまま車が止まった。
 僅かに窓のカーテンをずらし周囲を見れば、宵闇の中のあちこちに光が燈されている。
 かちゃり、という止め金を外す音がしたかと思うと、外側から扉が開けられる。
 マリアの前に座っていた男がすっと身を起こすとまず車外に出る。
 そして簡単な身づくろいをすませると当然のようにすっと車内に手を差し伸べた。
 マリアが外に目をやれば闇に溶ける漆黒の髪を背中に流し、深い青の礼服を身に纏った長身細躯の男を明るいガス燈が闇の中に映し出していた。
 狭い車内で身を起こすと、マリアはエドアルドの手を借りながら外へ出る。
 白壁と緑に囲まれたエントランスにはガス燈がともされ、柔らかな光を放っている。
「途中で逃げ出すかと思ったが?」
 からかうようにそう言ったエドアルドをマリアは睨み付けた。
「どの口が言ってるの。どうせこのドレスもエドの見立てなんでしょう」
 晴れ渡る空のようなその色はマリアの好きな色の1つだが、それをあの屋敷の使用人が知っているはずもない。
「さっさと行くぞ」
 そう言うと背を向けて歩き出したが、ちゃんと腕を差し出してくれているあたりは憎らしい。
 エドアルドは司教である以前に王位継承権をもつ王族だ。公の場に姿を見せることを逃げ、一応はそれを許されてきたマリアとは違いこのような場にも慣れている。
 成年を迎えた者はこういった場に必ず異性とともに出席しなければならない。しかし、王家の異端児であり、しかも社交界から逃げ回っていたマリアにそのような相手などいるはずもなく、夜会の相手は毎回エドアルドと必ず決まっていた。それがどれほどマリアにとって心強かったかエドアルドはきっと知らないだろう。
 だが内心とは裏腹に口をつぐのは不服だった。
「なんであたしがこんな所に来なきゃいけないのよ」
「仕方ないだろう、父上と母上の名代だ」
 そもそものきっかけはエドアルドとマリアの母であり現王の妹であるグラニール公妃と公の到着が遅れていることが原因だった。
 天候の悪化で本来の王都到着日より1日遅れての到着となるため、出席予定の夜会に参加できなくなったのだ。その代わりに引っ張り出されたのがエドアルドとマリアである。正直マリアはおまけみたいなものであるが。
「第一、建国祭まであと5日もあるっていうのにもうお祭り騒ぎってのがおかしいのよ」
「言っただろう、今年は例年とは違う。ケイルの立太子式もあるんだ」
 そんな会話を交わしながらも2人は会場へと歩いていく。脇へ避けて礼をする衛兵たちに会釈を向けることも忘れずに、である。
 王城に程近い宰相家で行われる今夜のパーティーは中庭と広間を開放した盛大なものである。エントランスの脇の控えの間にはもう誰も残っていなかった。すでに紹介は一通り終えてしまったということだろう。  マリアとエドアルドは手早く身づくろいを確認すると、広間へと続く扉へと足を進めた。扉が開かれると同時に内側に控えていた従僕が声を張り上げて叫んだ。
「グラニール公アリアーナ・クロイツェル様並びにヨアキム・クロイツェル様の御名代、エドアルド・クロイツェル様並びにマリア・クロイツェル様ご到着ー!」
 既に到着していた人々の視線が2人に集中したが、臆することなく2人が広間に足を踏み入れれば瞬く間に周囲に人垣が生まれた。 


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