]U. The end of all
  



 目を開けるとそこには見慣れた自分の部屋の天井があった。最初は何とも思わなかった。安心し、再び目を閉じようとしたときに何か引っかかるものを感じた。
 自分の部屋?
 がばり、と体を起こす。
 一体、いつ家へ戻ってきたのだ?というか今はいつなのだろうか?
 メイドを呼ぼうと思い、考え直してベッドから起きあがり廊下へと続くドアへ向かう。ドアノブに手を掛けたところで己の格好に気が付いた。
 いつもの白いネグリジェだった。
 さすがにこの格好でふらふらするわけにはいかない。衣装入れの戸を開け、簡単なドレスをとりだす。普段着用のラフな物で、コルセットを締める必要もなければ1人で着ることが出来ないような複雑な物でもない。うす緑色で、ゆったりとした作りのそれはハイウエストでリボンをくくるタイプの物でローズのお気に入りだった。
 姿鏡の前に立ち、ネグリジェを脱ぎ、頭からそのドレスをかぶろうとしてローズの動きが止まった。
「えっ!?」
 手に持ったそのドレスを取り落としてしまう。
 鏡から視線を外し、自身の体を見下ろす。
「な……い……………?」
 あの忌まわしい痕が消えていた。
 契約者であることを示すあの痕が。
 ローズの顔色が変わる。見る間に青を通り過ぎ、紙のように白くなった。
 足下に落ちた服を拾い、頭からかぶる。胸の少し下に着いたリボンを結びもせず、部屋を飛び出す。寝起きで少々髪も乱れていたがそんなことを気にしている暇はなかった。
 廊下の突き当たりにある扉を勢いよく開く。
 そこはレトの部屋だった。
 いつも弟がねている寝台の上に人影はない。
「レトっっっ!?何処っ!何処にいるのっっ?」
 そう叫んで部屋を飛び出す。
 次に行ったのは居間だ。だが、そこにも弟の姿は見えなかった。
「誰かっっ、誰かいないのっっ!?」
 ローズがそう言ってからしばらくすると古参の女中が1人出てきた。
「まあ、ロザリーヌお嬢様。お加減はもうよろしいのですか?」
「そんなことよりレトは何処?」
「レト様、ですか?レト様なら先程お庭の方に………」
 その言葉を聞いてローズはひとまず安心した。しかし、あの痕のことがすぐさま頭に浮かび、一階まで走ると外に飛び出た。
 途中、教育係が制止の声を掛けた気がしないでもなかったがそんなことには構っていられなかった。
 レトが行くところ。それは多分この屋敷の中で1つしかないだろう。
 ローズは裏庭の温室へと急いだ。
 そして、裏庭に行く途中で信じられない物を目にした。
「レト……っ!?」
 弟は、馬に乗っていたのだ。
 体が弱く、乗馬などは全く出来ないはずの弟が。
 馬上のレトがローズに気が付き、馬から下りて駆けよってくる。
「姉さまっっ!!」
 走り寄ってくるレトを見ながらローズはただただ固まっていた。
 レトは走り寄るとそのままローズに抱きついた。
「お加減はよろしいのですか。もうずっと寝込んでいらっしゃったので心配していたんです。でも兄さまが大丈夫っていうから………」
 状況把握が全く出来ない。
 なぜ、目が覚めたら自分の屋敷にいて、ベッドから起きあがることもままならないはずの弟が元気に走り、しかも馬にまで乗っている。
 呆然としているローズにレトはにっこりと笑って
「姉さまが元気になられたらお礼を言おうとずっと思っていたんです。姉さま本当に有難うございました」
「えっ?」
「姉様が、兄さまを捜してきてくれたんでしょう」
「まって、兄さまって?」
「黒髪のお兄さん。姉様をお家に運んできてくれた方が、僕の病気を治してくれたんです」
「レト、もしかして13歳になったの……?」
「この世界ではなっていないんですけど、契約からは解放されました。詳しいことは兄様が教えてくれると思います」
 レトは助かった?
 契約は破棄された?
「………なんか複雑なことになってる……」
 ローズがそう呟いたとき、視界が揺らいだ。
 何が起こったか良く分からず混乱しているローズをおいてレトは駆け足でその場に向かっていく。ようやく視界が落ち着いたとき、ローズの目の前には黒髪の男が立っていた。 知的なその整った顔は忘れたくても忘れられないもの。
 正常な美的感覚を持つ者ならば思わず見ほれてしまうだろう。
「げっ、ジェイド………」
「開口一番にそれか?助けてもらった礼くらい言って欲しいものだな。その上ひどい格好だな」
 皮肉のこもった相変わらずの口調。何でここまで外見と中身にギャップがあるのだろうか。
「はいはい、有難うございました。って言いたいところだけど、なんか良くわかんない内に話が進んでて何があったのか全く分からないんだけど」
「お前が寝込んでる内に契約は破棄され、レトは助かった。それだけのことだ。そんなことより俺は急ぎの用事があるんだよ」
 そう言うやいなやジェイドはローズを己の傍へ引き寄せた。
「ちょっと何するのよっ!」
 ローズの抗議の声も虚しく、ジェイドの右腕はローズの体をしっかり押さえて離そうともしない。それどころか腕に込める力が強くなった。
「レト、ちゃんと捕まってろよ」
「うん」
 ……………何時の間にこんなに仲良しに……?
 ローズがそう思う暇もなく、奇妙な感覚が体を襲った。
  
 



「ここは何処っ?」
 ローズは目の前にひろがるその光景にただただそう言うしかなかった。
 そこに広がるのは手入れの行き届いた素晴らしい庭園と青い空に向かってそびえる白亜の城。
 いや、ここが何処なのか知らなかったわけではない。
 知っていた。ローズは幼い頃父に連れられて何回か来たことを良く覚えていた。
 放心しているローズの胸元に手を伸ばし、結ばれていなかったリボンを手早く、しかも上手に結ぶ。髪も手櫛で梳かれてしまったがローズはそれどころではなかった。
「皇宮に決まっているだろうが」
 その言葉にレトは驚く様子もなく、ただ庭園を見渡して
「兄さま、また一緒に遊んでくださいますよね?」
「勿論だよ」
 未だに状況が飲み込めないローズとまるで兄弟かのようにジェイドとレトが親しく言葉を交わしている所に数人の女官が通りかかる。
 女官達は3人に気付くと頭を下げ道の端による。
 ローズが驚いていると不意に周囲が騒がしくなり、皇宮内から1人の女性が出てきた。その後を立派な服装をした男と複数の女官が慌てて付いてくる。
 豊かな黒髪を持った美貌の女性は妖艶な微笑みを浮かべながら3人に近づいてくる。
「母上、この人です」
 ジェイドのその言葉にローズは目を大きく見開いたがすぐさま表情を取り繕うとドレスの裾をつまみ、優雅に礼をした。
「ロザリーヌ=セジュ=ミレグリットと申します。以後、お見知り置きを」
「ふうん、いいんじゃないの?あたしは気に入ったわ。家柄的には何の問題もないし」
 宮廷の貴族が使うようなかしこまった口調ではない。
 ローズがどういう反応をしていいか困っていると、ようやく女性を追いかけてきた男が4人の元へやってきた。
 その男の服の胸に付いている紋章を見てローズは驚愕した。
 聖剣のもとに集う一対の鳳凰。
 帝国内においてその紋章を身につけられるのはただ一人、帝国皇帝のみ。
 ローズが挨拶をするのも忘れ突っ立っていると皇帝は、
「なるほど。これがお前のお眼鏡にかなった人か。なかなかのものだな、さすがは私の息子だ」
 今なんと言いました?
 現皇帝の息子?
「……あんたもしかしなくても皇太子だったりするわけ?」
 ジェイドにだけ聞こえるように小さく呟く。
「知らなかったのか?親父がたまたま呼び寄せたリレグリッツ家の稀代の魔女に一目惚れし正妃として迎えられたってのは結構有名な話だぞ」
「そんなこと知ってるわけないじゃない………」
 巷で有名だろうが何だろうが、青春時代を返上して弟のためにかけずり回っていたローズが、同年代の少女達のように物語もかくやのシンデレラストーリーに頬を染めている暇などなかったのだ。
 そう言い合う二人に皇帝は、
「日程はお前に任せる。ローズ殿、それではくつろいでください。そうだ、レトは私としばらく話でもしないか」
「はいっ!」
 黒髪の女性の手を取り、再び王宮へ戻って行きその後に女官達も付き従う。レトも皇帝とその正妃の間に挟まれ去っていってしまう。
 後にはローズとジェイドだけが残されていた。
「日程って何かあるわけ?っていうか、お眼鏡にかなったてどういう事よ?それに何でレトがあんたと親しくなってるのよ?」
「知りたいか?」
「当たり前でしょーが」
「なら1つ思い出して欲しいことがある」
 そう言うとジェイドはローズに向き直った。
「な、何よ?」
「お前は弟の命が助かるならば何でもするといったよな?」
「……いったわ」
「俺の要求を覚えているか?」
「あんたの要求………?」
 記憶の海からその時の様子を思いうかべる。そう言えば………。
「…………」
「思い出したみたいだな」
「………あんたもしかしてあたしを騙したわね………?」
「騙す?人聞きの悪い。俺は初めから言っておいたはずだぞ、花嫁になってもらう、とな」
「そんなっっ!あれは魔術の際のっ!」
「お前が勝手に勘違いしただけだろうが」
 ジェイドの腕が自分の体を捕らえるのが分かったが、ローズにはそれを拒むほどの余力は残っていなかった。





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