「紅茶」
真紅のビロード張りの椅子に座った青年が、本に目を落としたままそう言った。
その椅子の真横に立っている赤みがかった髪の少女は顔をしかめながらも、
「かしこまりました」
と言い、部屋を出ていった。
「くっそ〜!何様のつもりよっ。そりゃ、ご主人様なんだけどさっ」
この屋敷に来てから数日。
ローズはいい加減にキレそうだった。
いわく付きとは言え超名門貴族であるリレグリッツ家。広大な領地にとてつもなく広いお屋敷。部屋数は召し使い用の部屋や小さな部屋を数えれば100を超える。
それなのに。それなのに、だ。
この屋敷で働いている召使いの数はローズを含めても12人。はっきり言って少なすぎる。そのうち料理や庭番といった専門の人々を覗けば僅かに8人。
そして、その中で最もこき使われているのがローズだった。
やはり第一印象が悪かったのだろう。何かをするに付けて、あれこれ文句を付けられる。
コーヒーを入れれば別の銘柄がいい。
紅茶を入れれば入れ方が悪い。
食事を運べば、置き方が気にくわない、等々。
まるで息子の新妻をいびる姑のようだ。
「入れ方が悪い?ふざけないでよ。私はこれでも帝国式の入れ方を知ってるのよ。これでまずいって言うんならあんたの舌がおかしいのよ」
ダンっ、ポットをトレーの上に置く。すかさず砂時計もひっくり返し、ポットにはコゼーまできちんと掛けた。
ティーセットはグルシュ地方の名窯ロクサンの最高級品。銘柄はジェイドが最も好きなダージリン。
これでアイツも文句は言えないだろう。
ドアを勢いよく開けると2つ離れた主の部屋へと急いで運ぶ。
「失礼いたします」
かちゃりとドアを開け、目線は下から45度の所に落とし静かに歩み寄る。
「お入れいたしました」
本から顔を上げようともしないし、返事もない。
しばらくの間、部屋を沈黙が支配した。
数分が経過した。それでもなお彼は本から顔を上げようとしない。そして。
「冷めたようだな。もう一度入れてこい」
ローズは返事一つ返さず、ティーセットの乗ったトレーを乱暴に持ち上げると部屋から出ていった。後々自分でも思ったのだが、この時ジェイドをぶっ叩かなかったことは自分でも素晴らしい自制心だと思えた。
やっと一日の勤めが終わり、自室へと戻る。
与えられたのは小さいけれどこざっぱりとしたなかなかよい部屋だ。ベッドのスプリングもなかなかしっかりしている。
「これってかなりの好条件なのよね」
真っ白なシーツが掛かったベッドの上に靴を脱いでから横になるとそう呟いた。
広がったローズの髪が紅い河をシーツの上に描き出す。
目を閉じて、自分が置かれている状況をよく考えてみる。よく考えてみるとこんな所でこんな風にねている場合ではないのだと思い出す。
勢いよくベッドから起きあがると、まだほとんど荷物を出してない自分のトランクを開け、ベッドの上にぶちまけた。
出てきたものは複雑な紋様が入ったトップがついた首飾り。
透かし紋様が刻まれた青い宝玉の指輪。
何かの文字が刻まれた銀製の小さな剣。
金属がこすれ合う音がする、天鵞絨の小袋。
そして細々とした日用品。
細々とした日用品はいいとして、その他のものはどう見ても一介のメイド風情が身につけるようなものではない。
ローズはそれらを見ながら、自分の胸の内から、外からは見えないように身につけていた長方形の金属板を取り出した。
いぶし銀で出来た魔よけ。
仰々しいほどに刻まれた複雑な魔術文字や紋様。裏に返すとそれを作った魔術師の名前と短い言葉が刻まれている。
一般人にははっきり言って全く用の無いほどの強力な魔よけ。親が子供の安全を祈願して持たすようなものとはレベルが違う。そもそも、一般人が手に入れられるような価格ではないのだ。
「こんなものでも無いよりはマシよね」
かといって、これで事態が終息するわけではない。早く行動を起こさなければ取り返しのつかないことになってしまう。
次に手に取ったのは青い指輪。
家紋が刻まれたその青い石をじっとみつめてから、右手の中指に嵌めてみる。指に良く馴染むそれはマリアの母の形見だった。
「必ず守るとこの指輪に誓った。だから・・・」
しばらくその指輪を凝視していたマリアだったが、そう長く感傷に浸っているわけにもいかなかった。
指輪を外し元通りにしまうと、ひっくりかえした荷物の中から小さな包みを引っ張り出し、服のポケットに押し込む。
「これで良し。さてと行きますか」
手提げランプを持ち、部屋の明かりを消してから扉を細く開ける。
誰もいないことを確認してから真っ暗な廊下へと滑り出た。ローズの手に持ったランプの光が彼女の影を廊下に映し出す。
足音をたてないように廊下を歩きながら迷路のような廊下を一歩一歩進んでいく。屋敷に来てからだいたいの見当を付けた部屋を目指して。
階段を一つ上ったところにある廊下を真っ直ぐ行き、三番目の曲がり角で右に曲がる。そこには巨大な扉が聳えていた。
最高級のオーク材で出来た立派な扉。その上に掲げられたプレートがそこが書庫であることを示していた。
勿論鍵ががかっている。
だが、ローズの目当てはそこではなかった。
書庫への扉とその隣の部屋との間にはローズの勘が正しければ隠し部屋があるはずだった。ランプを床に置き、手で触りながら歪みがないかどうか調べていく。
しらべ初めてから数分が経過した。
「………何でないわけ?」
ここに来てからの数日間、マリアはこの屋敷の主であるジェイドの部屋の周辺を中心に館内の構造が描かれた薄めの冊子と格闘しながら何処かにあるはずの隠し部屋を調べたのだ。
その結果、ジェイドの部屋からも近く、鍵のかかった怪しい部屋からもほど近い書庫のあたりにかなり大きな空間があること知った。これほどのスペースを潰しておく等普通考えられず、又、古い屋敷等には隠し部屋や隠し通路が施されているのはよくある事である。探してみる価値はあるはずだった。
が。その空間に続くであろう隠し扉が見つからないのだ。
壁は押しても引いてもびくともしないし、何か細工がされているかも知れないと手のひらで丁寧触って調べたが、全くの無意味に終わったのだ。
「ハズレ……か」
がっくりと肩を落とし、ランプをもつと自分の部屋へむかって歩き始めた。何時までもぐずぐずして人に見つかるわけにはいかない。
また日を改めて探すしかない。
自分の部屋の戸を音がしないようにゆっくりと開け、室内に滑り込むと人に見つからなかったという安堵と部屋が見つからなかった落胆との混じったため息を大きくついた。
「早く寝よう」
「一体何なんだ、あの女は」
黒髪の青年が1人呟く。
ばれてないとでも思っているのだろう。そんなわけがないではないか。
彼女と共に館にやってきた禍々しい気配。そして、体の何処かに付けているだろう強力な魔よけの魔力には覚えがあった。
「とんでもないものを預かることになった」
そう言うと彼は傍の机に上に置いてあった魔道書を手に取った。
「まあ、もうしばらく様子を見るか……」
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