「それだけか?」
暖炉の前に置いてある天鵞絨張りのカウチの1つに腰を掛けていたジェイドは背後を振り向いてそう尋ねた。
彼の視線の先にいたのは銀色の髪をした1人の少女だった。今は、着込んだ服を着替えるために懸命にもがいているが。
ジェイドのその視線を浴びながら少女ははずかしげも無く着ていた服をはぎ取り白いシャツだけの姿になるとジェイドの隣のカウチに腰を下ろした。
いや、それは少女ではなかった。
確かに体つきは少女のように細く、顔も線が細いため少女のように見えるが、その体は女性としての柔らかさに欠けていた。
少年ははぜる暖炉の中の炎を見ながら先程のジェイドの問いに答えた。
「そ。詳しいことまではわからなかった。ん〜、でも彼女は本当に何者なんだろうね」
「それを調べてくるのがお前の役目だろう」
「そうはいうけどさ、」
少年はその整った顔を少しふくらませ、不思議な色のその瞳でジェイドを睨んだ。
「もともと僕はこういうちまちました作業は苦手なんだよ?一発ぶっ放して全部すっきりさせる方が好きなんだ。キアが彼女に話しかけているのを偶然聞けただけでもかなりの……」
「もともとはお前が覚えていればそこまでの話として済んだはずだろう。一日の長という言葉は何のためにあると思ってるんだ?」
「うっ、それは…」
ひるんだ少年から視線を外すと、ジェイドは顔をゆがめ、
「まだ調べる必要がありそうだな。………シグルス、いい加減に服を着ろ」
そう言われた少年は純粋な疑問をもった子供のようにジェイドをきょとんと見つめた。
「何で?」
「………言わせたいのか?」
「もう、ジェイドってば本当に意地悪だよね」
「その言葉遣いもだ。気色悪い」
「ひどいなあ。あっ、なるほど。僕がこの姿でいると色々と煩悩が――」
ジェイドはその言葉を最後まで言わせなかった。
「なんで、この俺がお前のような齢(よわい)―――」
ジェイドの言葉は声にならない。
目の前の空気が急速に圧縮し、音声を伝える役割を果たさなくなっている。
「それ以上言うと怒るからね?」
そう言う少年の目は本気だった。先程までの何処か甘えた色が完全に消え、凍てついた、畏怖を覚えずにはいられない色がうかぶ。
もっとも、彼はそれがジェイドには通じないことを良く知っていたが。
「ま、僕はしばらくこのまま彼女の様子を探ってみるよ」
先程までの冷たい色一瞬で消し去り、にこりと笑うと彼はそのままそこから姿を消した。 残されたジェイドはしばらく暖炉の火を見つめていたが、何かを思い立ったかのように席を立った。
暖炉が置かれた広々としたその部屋にはいくつかのドアがある。
その一つは寝室につながっていたし、彼がごく親しい友人を招いて談笑する際の部屋に続くものもあった。
席を立ったジェイドが押し開けた扉あの向こうにあったのは、天井まで届く高さのぎっしりと本が詰め込まれた本棚が四方を囲い、シンプルではあるが使いやすい机と椅子が置かれている部屋だった。
そこは彼の書斎だった。
椅子に座ると、引き出しを開き、中に置かれていた木製の小さな箱を開く。中に入っていたのは黒水晶で作られた数個のチェスの駒だった。
一番隅に倒れているナイトをきちんと立たせ、ポーンともう一つのナイトを横に倒し、ルークは少し位置を移動させる。最後に、倒れていたキングを立たせた。
その瞬間。
ジェイドの姿は書斎の中から消えていた。
数秒後、ジェイドが立たせたはずの駒は順に倒れ、倒したはずの駒がゆっくりと起きあがってゆく。ジェイドがどけた箱のふたも、おいていたその場所が持ち上がり綺麗にふたがされる。そして音も立てずに引き出しは机の中に入っていった。 まるで、何事もなかったかのように。
窓があるわけでもないのにそこは明るかった。
明るいと言っても、まぶしいほどのものではなく、本を読むのに適当と言うくらいのものだったが。
本に埋もれた机の前でジェイドはしばらく考え込み、結局は魔術を使うことにした。この膨大な量の本の中からお目当てのものを見つけだすには少なくとも一週間はかかる、そう考えたからだ。
「知識を持ちし偉大な賢者達よ、その力を欲するものがここにいる。古(いにしえ)の契約と魔物についての知を求むるものがここにいる。この体に流れる契約を受けし血のもとに今ここに集(つど)え」
そうジェイドが言い終わると、静かだった部屋は一瞬にして本と本がぶつかり合い振動する音でいっぱいになった。
しばらくするとその音は収まり、数冊だけ宙を漂いジェイドの前に重なってゆく。最後の一冊がのった瞬間、それらは凄まじい音を立てて床に落下していた。
「……二日はかかりそうだな」
ジェイドは足下に落ちたその本を拾いながら小さく呟く。
彼が拾い上げるのはどれも余り綺麗だとは言えない古くさく、黄ばんだものだった。そして、その全てが厚さ数センチはあろうかという代物だった。どれも貴重なもので、現存する唯一の書とされるものもある。
その全てに目を通し、求める情報を得るのには大変な労力を要するだろう。
魔術を良く知らないものは先程のように魔術を使えば簡単に出来ると勘違いをしているが、さすがにそこまではやってくれない。
魔術とは人知を越える力を持つがそれは決して完全とは言えない不確かなものなのだから。
ジェイドは拾い上げた本を両手に抱え、次の部屋へとつながる扉を引いた。
そこには、必要最低限の日用品が綺麗に片づけられ、中央にかなり大きな机と椅子が1つだけ置かれた簡単な部屋だった。
ジェイドは本を机の上に置くと椅子に座り、さっそく一番上にあった一冊を手に取りゆっくりと頁をめくった。
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