ジェイドに書庫の使用を禁じられてから既に一週間ほどが経過していた。本来ならばすぐにでも行動を起こしたかったのだがなにぶん忙しかった。
ローズは元々メイドではないのでこういった仕事に余り慣れているとは言えない。大抵のことはそこそこ出来るという器用貧乏な元来の性のお陰で、かなりの無理をしながらではあるが何とか与えられた仕事をこなしている。そんな具合なのだ。
焦って事を起こして、その上慣れない仕事に従事してきた彼女はその疲れからか数日寝込んでしまった。
ようやく体調が直ってからも休んでいた間の分をそれまでより沢山働かなくてはならなかったし、何よりキアがローズを離してくれなかった。
あの廊下で会話以来、褐色の髪の少女はことある事にローズに付き従うようになった。ローズもそれが嫌なわけではない。
今まで彼女には友達というものがなかったのだ。
話し相手と言えば弟のレトぐらいのものだ。その弟は彼女より5歳も年下なので、ローズの役目は亡くなった母親の変わりだった。
初めて出来た同年代の女友達。
嬉しくないはずがなかった。
だが、残されている時間は余りにも少なかった。早く目的を達成しなければ、ローズは大切なものを失ってしまう。この世で最も大切なたった一人の肉親を。
その底知れぬ恐怖はローズを駆り立てた。
普段、仕事が終わってからローズの部屋にやってくるキアに嘘を付き、時間を作ったのだ。
屋敷は静まりかえり、廊下に付いていた明かりも消され皆眠りにつく。
手に持つ物は小さな黒い袋と手提げランプ。
「今度は見つかるはず……」
そう呟くと、ローズは以前と同じように黒い廊下へと滑り出た。
数分後。
彼女が立っていたのはあの書庫の前だった。
ジェイドが入ってはいけないと言った書庫。
書庫と隣の部屋にある奇妙な空間。
ここまで着て彼女はその秘密の空間への入り口が書庫の中にあると確信していた。よくよく考えると、人目に付きやすい廊下に出入り口を作るはずがない。
最初、廊下を探してしまった自らの愚行は恥以外の何ものでもない。
ローズはランプを掲げ鍵穴を探す。
豪奢な作りの取っ手に絡みついた蛇の目。そこが探していた物だった。
服のポケットを探り、銀で出来た鍵を取り出す。これはキアの協力によって得られた物だった。
ジェイドが姿を見せなかった数日間の間に、彼女がどうやってかは知れないが手に入れてきてくれた物だ。ローズは深く追及せずにありがたくそれを受け取ったのだ。
「差し込んでから蛇の首を左に45度っと」
キアが教えてくれたとおりに蛇の首を曲げてから鍵を回す。
ガシャ
意外に大きい金属のこすれる音が廊下に響き、ローズはどきりと動きを止めた。しばらく様子を伺うが誰かが来そうな気配はない。
ゆっくりと音を立てないように厚い扉を薄く開き中に滑り込んだ。
後ろ手に慎重に扉を閉めるとそこで一息つく。
「ひとまず潜入成功かな」
安堵した声でローズがそう呟いたとき、
「みたいだね」
「誰っ!!」
すかさず誰何の声を上げ、ランプを高く掲げる。
するとそこには人影があった。
暗闇の中で椅子に座り、ローズをじっと見ている。
顔は良く分からない。
「誰なの?」
その声に、人影は席を立ちローズの方に近づいてくる。
自然と彼女の体も後退する。しばらく後ずさった音、彼女は堅い木の扉に自身の背中が触ったことに気が付いた。
人影は全く歩調を変えず、ゆっくりとしかし着実にローズに近づいてくる。
人影が、ローズが手に持ったランプの光の中に入ってくる。
「あ………」
ローズは言葉を失った。
長く美しい銀髪は艶やかで暗闇の中にあってもその輝きが陰ることはない。瞳は不思議な色で、光が揺れるたびにその色を変える。
「そんなに警戒しなくてもいいよ。別に誰も呼んだりしないから」
女性にしては低い声だし、男性にしては高い。だがどちらにせよその声は、耳に心地よい。
「……こんな所で何をしているの」
「そっくりそのまま返させてもらうよ。君こそこんな所で何をしているの、ロザリーヌ=セジュ=ミレグリット」
握っていたランプの取っ手が手から滑り落ちる。
愕然として目を見開き、自分が今手から取り落とした物が何であったかに気づきはっとする。一瞬にして蒼白になった顔はさらに青くなった。
ここは書庫だ。炎が本に燃え移れば消し止めることはほぼ不可能だ。
そう考えたとき、ローズはあることに気が付いた。
ランプが落ちた音がしない。
聞こえていいはずのあの炎が燃え上がる音も、燃料の油の嫌な匂いも全くしないのだ。 ゆっくりと下を見てもそこには何もない。
いや、それよりも何故、光が上から降ってきているのだろう。自分の手は下に下ろされており、もはや何も持っていないと言うのに。
上を見るとそこには当然のことのようにローズのランプが宙に浮いていた。
「……貴方、魔術師……なの……?」
「さあね。それより、何故僕が君の名前を知っていたかについては聞かないの」
「……聞いたら教えてくれるわけ?」
ローズのその問いに少年は納得したようだった。 僕と言うからには少年なのだろう。笑みを浮かべた顔は何処か中性的で恐ろしいほどに美しかった。
「ククク。気に入ったよ」
「気に入ってもらわなくても結構」
「やっぱりいい。アイツが興味を持つのもわかる気がしてきた」
少年は扉に張り付いたままのローズに近づいてくる。気が付くと、少しでも動けば吐息に触れてしまいそうな程の距離に彼はいた。
その手がローズの顔に触れる。
「離して」
そう言ってその手をどけようとしたが、ほっそりと華奢に見えた彼の腕は意外に力強くローズの抵抗にびくともしない。
「あくまでも強気なんだね。ああ、変わっていない。あの時のままの瞳だ」
少年の言葉にローズはいぶかしげな表情をする。
こんな少年に自分は今まで会ったことなど無いのだから。
「あの時のまま?」
「そうさ。契約者の瞳だ」
その言葉にローズが目を見開いたとき、少年の姿は書庫の中から消えていた。ランプはいつの間にか床に置かれ、オレンジ色の光を放っている。
ローズはドアにもたれるようにしてそのまま座り込んでしまった。
手が振るえている。
しばらく振るえる手で己の体を抱いてから、意を決してランプに手を伸ばし高々とそれを掲げた。
「………いるんでしょうっ。……でっ、でてきなさいよ」
しばらく探したがやはり書庫にはローズ以外誰もいないようだった。重苦しい静寂だけがあたりを包む。
先程のことは全て夢だったのだろうか?
だが、吸い付くような少年の手の感触は未だローズの頬に残っていた。夢で終わらせるには余りにもリアルすぎた。
「……契約が動き始めたっていうことなの・・・・・・・・?」
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