体を襲うだろう衝撃に身を縮めたローズを待ち受けていたのはあまりに柔らかな感触だった。
固く閉じていた目をゆっくりと開くとそこは蝋燭の柔らかな光に照らされた居心地の良さそうな部屋だった。
自分が何処にいるかを確認する。
クッションのついた革で出来た座り心地の良い椅子。
その上に彼女はいた。
「…………ねずみとり、じゃなかったの……?」
「ねずみとりがよかったのか?」
突然後ろからかけられた声にローズは固まった。
聞き覚えのある声。
いや、ありすぎるほどの声。
振り向いたそこに彼はいた。
漆黒の黒髪。ぬばたまの瞳はどんな闇よりも濃く美しい。男性にしては色が白いがそれは決して貧弱さを連想するものではない。
それはリレグリッツ家の現当主、ジェイド・リレグリッツその人だった。
間違えようがなかった。
「…………これには深いわけが……」
固まりかけた思考を何とか保つと一応そう言ってみる。
「どんなワケだ?他人の屋敷の中を嗅ぎまわって隠し部屋にいるとはね」
整ったその顔がいつもマリアをこき使う時の嫌みったらしい笑みを浮かべている。
最悪だ。
ねずみとりの方がまだマシだった。
何も言わないローズをジェイドはただ見つめていた。
「…………。言うわよ、言えばいいんでしょう」
こうなったら腹を決めるしかない。どのみち話さなければ自分はここから出してもらえないのだから。
「探している物があったのよ……」
「探し物、ね。君がこの部屋に入ったのが初めてならばこの部屋に君の物が落ちているわけはないと思うけど?」
自分が何のためにここに来たのか分かっていて言っているのだ。なんと意地の悪い奴なんだろう。
「むかつく奴ね。自分が優位に立っていないと気が済まないの?」
「どうやらそうみたいだ。ま、君が泣き寝入りするタイプではないことは良く分かったよ」
「そんな性格だったらここにいないと思うけど?」
「それもそうだ。少し話がずれたね。君がほしがっているのはこれなんだろう?」
いきなりそう言い、ジェイドが何事かを小さく呟く。
すると、彼の手元に古い書物が一冊、収まっていた。
「『魔書』」
彼が読み上げたその名前に、ローズは目を見開いた。
しかしジェイドはそんなローズに一切構うことなく淡々として口調で話を続ける。
「数ある魔術書の中でも最も古く危険だと言われるのがこの本だ。帝国以前に出版され第二帝の時代に禁書となった忌まわしい魔術書だ。残っているのは多分これが最後だろうな」
その通りだ。
父が教えてくれたとおりだ。
ローズは咄嗟に手を伸ばす。
「お願いっ、それを私に貸して!ちゃんと返す、大切に扱うからっっ」
「これに書かれているのは異界との接触方法と忌まわしき魔獣達との契約の仕方だけのはずだ。年頃の女の子のくだらない願いを叶える魔術など一切のっていないがな」
「分かっているんでしょうっ。この本が分かったということは私が何者かも分かっているんでしょう!?」
ジェイドはそう言うローズをじっと見つめた。
美しい少女だ。一点の曇りもない白い肌はきめ細かく美しく、赤褐色の髪は光の加減で金髪にも見える。
ジェイドが今まで見たどんな少女よりも美しい少女だった。
「完全に分かっているわけではない、と言っておこうか。……君が契約者であることだけは分かっているけどね」
「そこまで分かっているなら十分でしょう。」
「1つ聞いておくが、この本を手に入れて何をする気だ?」
「……契約の破棄…………」
小さな声でローズはジェイドの問いに答えた。
「それを誰がやる?見たところ魔力の欠片も持っていないようだ」
「適当に雇うわ。魔術協会に頼んで金に物を言わせばいくらでも引き受けてもらえる」
その言葉にジェイドは再び意地の悪い笑みをその顔に浮かべた。ローズも流石にむっと来て当初の勢いを取り戻して
「何よ!?」
「1つ良いことを教えてやる。魔物との契約を破棄する方法は1つだ。その魔物を倒すこと。だがな、それを完全に倒すことが出来るのは同じく魔物だけ。そして魔物の力を借りることが出来るのは契約魔術師だけだ」
「ならその契約術者を雇えば良いだけじゃない」
契約魔術師。
たしか、契約魔術師というのは異界の魔物と契約を交わし、本来ならば人間が得られるはずのない程の魔力を手に入れた者のことのはずだ。
まだ幼い頃から両親に聞かされ自身でも契約を破棄するための魔術を求めて大量の魔術書を読んできたローズはそれくらいの言葉は知っていた。
「この世界に何人の契約術者がいると思ってるんだ」
そこまでは流石にローズも知らない。
返事に窮しているとジェイドは表情を変えずにその答えを言う。
「俺だけだ」
……………。
俺だけ。つまり1人だけ。
何が?
この忌まわしい契約を破棄できる魔術師が。
…………。
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