予想していなかった事態に流石のローズも脱力を隠しきれない。
どうしろと言うのだ?
頼りにしていた『魔書』もこれでは意味をなさない。
ジェイドがまさか盗みに入った人間の願いを簡単に聞き入れてくれるはずもなかった。
全部終わりだ。
自分では弟の命を守れない。
ショックを隠しきれずに立ちつくすローズを見ながらジェイドは、
「何で初めから俺に依頼しなかったんだ?」
「………」
「魔術協会の中でも俺が首座術者。普通、忍び込んで本を奪うなんて考えるか?」
「………父さんは断られた」
小さな声だったので良く聞こえない。
「はあ?」
「父さんが、両親がこの契約を解こうと思わなかったわけが無いじゃないっっ。頼んだわよっ、でも断られた……」
「俺が知らないという事は先代の時か。まあいい、どんな契約なんだ」
「弟が死んでしまう……」
「弟?」
「詳しいことは知らないけど、何百年も前に当時の当主が結んだのよ。何をしてもらったかは知らない。でもその見返りとして当主は一族から贄を出すと言ってしまった。何百年か後にこの家の当主となった者の命を贄にすると」
「それが弟?」
「後一ヶ月すれば弟は13歳になり成人を迎える。今は私が弟の代わりに当主となっているけど、成人に達してしまえば当主は弟。そして来年がその契約の年」
「なるほどね………」
「なるほどって、それだけなの?」
ローズがジェイドを見つめる。
「何か期待したのか?」
「ここまで人に喋らせといてそれはあんまりじゃない!?」
「そんなものか?」
ジェイドは表情も態度も全く変えない。こちらの分があまりに悪すぎるのだ。こちらが下手に出るしかないではないか。
「屋敷の中を探ったりして本当に悪かったと思ってる。だからお願い。報酬もちゃんと支払う、あなたの言い値でいいから」
「どうしようか……」
明らかに楽しみながらそう言う。
なんて嫌な奴。キアはコイツの本性を知らないんだ。優しそうで親切でクールで素敵なご主人様だと思うわ、と言っていたキアに今のコイツを見せてやりたいものだ。
「条件を付けようか」
ローズが疑惑のこもった視線でジェイドを見る。それをジェイドは軽く受け止めると、もしこの場にキアがいたならば「素敵!」と言うだろう笑みを浮かべた。無論、ローズから見ればその微笑みは大変邪悪なものと映ったのだが。
「……内容によるわ」
「弟が死んでも良いのか?」
「っ、何でもやるわよ!やってやろーじゃない。レトが助かるんだったら私の命だってあげるからっ」
ベットからほとんど下りる事も出来ない病弱な弟。
自分が姉として出来ることならば何だってやる。これ以上の重荷をレトに背負わせたくなど無い。
「良い度胸だ、気に入ったよ。アイツが気に掛けるのも分かるな……」
「あいつ?」
「こっちの話だ。条件は……そうだな、花嫁にでもなってもらうか」
は?と聞き返しそうになってローズは寸前であることを思い出した。
何時か読んだ魔術書に書いていた。
花嫁。
魔術師達は魔術の際に用いる生け贄を俗称として『花嫁』というのだ。つまり、ローズの言葉通り、命を差し出してもらおうと言っているのだ。
「いいわよ、命くらいいくらでもあげる」
「………交渉成立、というわけか」
「報酬は?」
「終わってから請求させてもらう。それはそうと、何故この部屋へ来れた?」
唐突にそう尋ねられローズは一瞬何を言われているか理解できなかった。
「?」
「この部屋に続く、お前風に言えばねずみとりだが、は何処にあった?」
「……何処って書庫だけど」
言ってしまってからローズはどう説明しようかと困った。書庫には鍵がかかっている。鍵を手に入れてくれたのはキアだ。彼女を巻き込むわけにはいかない。
必死でそう考えるローズに全く気付かず、ジェイドは
「書庫か………。何故仕掛けが分かったんだ?」
「仕掛け?ああ、華のこと」
「あの華の由来を知っているのか?」
「ええ、『ミレラーンの妖華』。愚話集の9話目の話でしょう」
ローズがそう言うとジェイドは少なからず驚いたようだった。
「『愚話集』を読んだことがあるのか……。この屋敷に残っているのが最後の一冊だと思っていたんだが」
「ウチの書庫には父さんや御爺様が集めた貴重な本がたくさんあるわよ。魔術に関するものがほとんどだけど」
「そういえばお前の本名は?」
ジェイドは未だローズの本名を知らないことを思い出してそう聞いた。報酬をいくらでもだす、と言う言葉からすればやはりそれなりの家なのだろう。
「ロザリーヌ=セジュ=ミレグリット」
その声はローズのものではなかった。
何時の間にそこに現れたのか銀髪の少年が二人の横に立っていたのだ。
「シグルス」
「あの時の幽霊っ」
二人の声が重なる。
「何でお前がこいつの名前を知っているんだ?」
「まあ、それなりに生きてきたからじゃない?」
「俺の記憶が確かなら、お前は忘れたと言ったよな?」
「そうだったけ?」
青筋を浮かべるジェイドとそれをのらりくらりとかわす銀髪の少年。
「………結局、あんたはなんなわけ?」
話し合う二人を見ながらローズはそう尋ねた。この少年には結構恨みがある。書庫でのあの恐怖は未だに残っている。
「シグルスは俺の契約者だ」
「………魔物なの?」
「簡単に言えばそうなる。外見をそのまま信じたら痛い目に遭うぞ」
「うるさいなあ、そういう事言わないでくれる?人間と僕たちの寿命は随分違うんだから。僕たちの寿命で言うとまだ若い方に入るんだ」
女にしか見えない美しい顔をふくらませながらそう言う。
「契約は帝国以前からのはずだが?」
「ってことは……少なくても1200歳………」
「ロザリーヌ、契約を破棄したくないんだね?」
………。ジェイドの契約者はシグルスだ。ということは、ローズの依頼はシグルス抜きでは為し得ないということになる。
「シグルスって本当に若いよね〜」
「嘘こけ、1200歳の爺が頬をふくらませて――――」
ジェイドの言葉はそこでとぎれた。
別に彼自身が意図したことではなく、彼の周りにあった空気が一瞬にして消え、呼吸が出来なくなったからだった。
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